4歳の男児と同居することになって、日々の時おり、子供の立場に立つといったことが起っています。
四人の“高齢者”に囲まれて生活する彼にとって、この世とはどんな風に映っているのだろうか、などとも考えたりもします。
言ってみれば、68-4=64年間の年齢ギャップを行ったり来たりする想像体験なのですが、この同居がなくては決してありえなかった想像でしょう。むろん、子持ちの家族には当たり前のことなのですが、私のような変形家族にとっては、“超”遅れてやってきた、人並みな出来事です。
その想像とはたとえば、生命とは、こんなふうに一時の途切れもなく、連続して営まれていることなのか、などと思わされています。むろん、私と彼との間には、血縁関係などはなにもなく、言ってみればただの“行きずり”の関係に過ぎません。しかし、人と人との関係なんて、結局は、おおむねの偶然の産物です。そういう偶然関係ながら、ひとつの交換が始まっています。
彼のお父さん曰く。「若い頃は好き勝手なことをしてきましたから、この子が20になる80までは犠牲となって、現役を続ける覚悟ですよ。」
この先16年間、つづけられるはずの覚悟です。