私の「四分の三プロジェクト」に関し、新たなフォーカスを定めておく必要が出てきています。というのは、これまでの計画によると、現実面を焦点とするこのプロジェトから、そろそろ、兄弟サイト『フィラース Philearth』の「理論人間生命学」へと移ってもいいころだろうとの判断でした。ところが、「AUKUS」〔2021/09/18付「日々両生」参照〕に代表されるように、世界情勢や社会の何とも不気味な動きを目の当たりにして、いずれその移動はするにしても、その前に、自分なりの見解を確かにしておく場の設置が必要と感じるようになってきました。
つまり、残りの「四分の一」を、これまでの「体験や現実」重視の観点から、「ユートピア地球」をキーコンセプトとした「理論」――そしていずれ落ち着いてゆく信条――を主柱とした取り組みに移そうと考えてきたのですが、どうもそれがまだ時期尚早なようで、今の現実がそうはさせてくれません。
そこで必要と思われる分野が「平和地政学」とでも呼ぶ実務論で、いずれ「ユートピア地球」に移るにしても、その下地となるべきものです。それにこれは、Geo-humanitics とでも造語したくなるような、地球の恒久平和を目指す概念です。いざ有事となれば、「ユートピア」も何も、あるはずもないからです。
正直に言えば、ひたすら――自分の心の平安を優先し――「ユートピア地球」の構想へと突き進みたいところです。それに私には、年齢という避けられない境界が控えています。
そこにこうした現実の予断を許さぬ事態が日増しに進んでおり、私的には、その「思念」とこの「現実」との間で、揺れ動ごかされています。
そうした両者への体重配置の案配には慎重を要しますが、事態の推移にそって二股を駆使する状態は避けられなくなってきています。見方を換えれば、再び、「架橋」状態の出現とも言えます。
そこで私の言うこの「平和地政学」ですが、まずそれに進む前に、いわゆる「地政学」について触れておきます。
「地政学」とは、私の理解の限り、近隣諸国を、仮想敵国とまではせずとも、競争相手と位置づける戦略上の学問です。つまり、相手への不信を前提に、相手に出し抜かれないための身固めの学ということです。
それを私の「平和地政学」では、こうした「危険サイド」からのアプローチは既存地政学にまかせ、あえて言えば「楽観サイド」からのアプローチを採用しようとの研究です。その点で、自分で造語した Geo-humanitics の方が収まりがいい。
すなわち、「平和地政学 Geo-humanitics」とは、私たちの誰もの平和な日常生活の持続を、国際関係レベルまでに広げて探究する分野です。
人間だれしも、自分を中心とした、最後は地球環境全体にまで広がる、同心円状の地理的、地政的条件の上に生活しています。
それを、権力者や支配者による上からの観点ではなく、人々による下からの民主的な目線による国際関係の組み立ての試みです。
むろんそこには、紛争解決の視点はあるとしても、戦争準備の視点は必要ではありません。
多様性を認め合うことを原則に、幾段階かの集団レベルごとの統治実務論を積み重ねた、平和地球関係学です。
ある意味――少なくとも規範理念として――では、日本国憲法の平和精神を国際レベルにまで広げる構想とも言えます。
これには、1946年8月生まれという、私の誕生の歴史における意味も含んでいます。