10月22日(32日目)
今、メキシコ第二の都市グアダラハラです。
私たちが滞在しているリゾート風ホテルの部屋は、アメリカの大都市ならば、一泊200ドルは下らないイグゼキュティブ・ルームです。それくらいの豪華版を、3泊で1200ペソ(約60ドル)で泊まっています。むろん、ここがメキシコであるとの国による物価差という事情もありますが、もっと大きいのは、ホテル側が空室を避けるために放出するラストミニッツのバーゲン料金です。
この旅行の同行者Tはいわば旅のプロで、旅行中も常時インターネットを駆使して、そうした宝物を発掘しています。こうした旅行法は、そうした掘り出し物をつなぐ綱渡りのような緊張を伴いますが、並みの旅ではえられない、対費用効果が得られます。
同じようなバーゲン放出は飛行機料金でもバス料金でも存在し、この綱渡り旅行に貢献してくれます。
50日間を、豊富なお金を投入する悠々自適型の旅で過ごすのも旅ですが、質素な資金で贅肉を切り取った旅をするのも旅です。
つまり、旅をするのは消費行動の一つで、賢い買い物法が、その成果を決定的に左右します。しかも、ホテルの価格はあってないようなもので、時期やタイミングによる変動は馬鹿にならないものがあります。もし、車にこんなに大幅な値段変動があったら大変です。こうした手法は、買い物というより、株売買に似ているのかも。
そういう最新テクニックを駆使して、この旅が進行しています。
ただし、その実行には、正確迅速な情報入手のために、宿泊する各ホテルでのWifiは必須で、しかも、安全保障があって十分早いものでないと、クレジットカードの決済が安心して任せられません。
私見ですが、私は、人生の意味とは、自分の「検出装置」の発揮次第にかかっていると踏んでおり、その成否は、いかにこの装置をフルに働かせるか、つまりそれに有益な入力をしうるかどうかによると考えています。
ビジネスマンであれ、物書きであれ、スポーツ選手であれ、その成果は、基本的に、入力量からくる出力にかかっているとの見方です。そして私にとって、旅とは、そうした入力手段の一つです。
そうした人生の《旅路》の実践にあたり、その入力を最大化してくれる上記の旅テクはあなどれない手段です。むろん、このテクニックを開発したのは私ではありませんが、そのエキスパートに同行することで、いわば「漁夫の利」を得ています。
あとは、私の「検出装置」をいかに働かせるか、の問題です。
10月23日(33日目)
メキシコの名産品といえばテキーラですが、このグアダラハラの近くに、その名もずばり「テキーラ」という町があります。むろんその生産の中心地です。
今日はそこに行ってきましたが、土曜の週末に重なり、いっそう、観光客を集めていました。
10月24日(34日目)
グアダラハラから、メキシコ西海岸のリゾート町、マザトランに移動。
昼間のバスで7時間ほど。それまでの高地の都市から海岸へ下って、蒸し暑さに閉口。
途中では、二か所で、軍による検問があり、治安維持の厳しさに接しました。
10月25日(35日目)
マザトランでの三日間の滞在は、見物する特別なところもなく、リゾート気分でゆっくりして、たまった事務作業をこなす。
10月26日(36日目)
マザトランは、アメリカ人のお手頃なリゾート地のよう。季節外れもあるのだろうが、ピーク期を避けたリタイアリーらが数多く見られる。ただし、町は閑散としている。
一日一食を宣言した私ですが、こうして旅路につくと、そうしたコントロールは難しく、必要と条件にそった食事事情となっています。
体重も感じの上では、少々増え気味でも、現状なまずまず維持している模様。
10月27日(37日目)
マザトランより、メキシコ随一の渓谷をゆくチワワ・パシフィック鉄道の西の出発点、ロス・モチスへの移動。
バスで約6時間、西海岸を北上し、ロス・モチスには夕刻到着。海岸沿いの町なので、ともかく蒸し暑い。バスターミナルからホテルまで、荷物を引っ張って1キロほどを歩くだけで、汗びしょとなる。
10月28日(38日目)
チワワ・パシフィック鉄道(愛称「チェペ」鉄道)別名カッパー渓谷鉄道の旅の一日。
朝6時発の列車に乗る(予約なし)ため、5時に宿をでて駅へ向かおうとするものの、まだ夜は明けておらず、暗い街でタクシーを拾うのに苦労。街を巡回中の警察官に話すと、どこかでタクシーを見つけて連れてきてくれました。常時機関銃を所持したこわもての彼らの印象を変えてくれました。
この鉄道は、アメリカのグランドキャニオンに敷かれた鉄道を旅するかの感があります。谷の規模は比較的小さいものの、15時間を要する全長650キロのうち、ほぼ半分は谷間を走るという長さとスケールの大きさが驚異です。よくぞこんな厳しい地形に鉄道を引いたものだとの感慨なしではいられません。
渓谷を行く途中、線路脇に退避して列車の通過を見守る保線員さんたちに手を振ると、「おー」といった歓声をあげて手を振り返してくれました。
午後4時、高原の町、クリール(Creel)で下車。渓谷美のほぼ半分を体験。海抜数メートルから2,330メートルのこの町までいきなり登って、やや高山病ぎみ。
10月29日(39日目)
夜間はもう肌寒く、昨日までの蒸し暑さは嘘のよう。
快晴の朝、吐く息は白く、まさに高原の爽快さ。
渓谷見物のツアーには参加せず、町を散策。ちょうどハロウィンの期間にあたったため、町はお祝いのムード。若者たちの集会や乗馬したカウボーイたちのパレードにも遭遇。
10月30日(40日目)
残り半分の鉄道の旅は、所要時間も短いバスに切り替え。朝8時45分発でチワワへ向かう。今日の宿は、チワワの町の山の手住宅街にあるB&B。8室もあるという邸宅の一室。食堂も家族のものを提供されて、知人宅におじゃました感じ。
10月31日(41日目)
快晴の朝、意外に空気の澄んだチワワの町の宿で、ご来光かつサンゲイジングを味わう。
考えてみると、今回の旅行で雨には一度も降られていない。場所柄もあるが、超ラッキーでも。さぞかし、日焼けの顔となっているはず。
チワワの街の見物。月曜日とあって、市内は昨日までのハロウィンパーティーの跡片付け。
政府宮殿では、日本のお盆風に言えば、メキシコ革命の戦士たちの霊を迎える式典の雰囲気と余韻を味わう(別掲記事参照)。
11月1日(42日目)
チワワの街の見物二日目。
チワワと聞けば、愛犬家なら犬のチワワを思いうかべるはず。その小型犬の発祥の地というのですが、いっこうにその種の犬はみかけません。
11月2日(43日目)
チワワを発って今回のメキシコの旅の最終地、ティワナへ空路向かう。
メキシコ北西端のこの町は、まさに国境の町。空港も国境に接し、町の北側には、国境線上のフェンスが、下の写真のように、万里の長城のように延々と続いています(トランプがいう「国境の壁」はもうできています)。
11月3日(44日目)
ティワナの町の見物。
街の老舗レストラン「シーザー」(写真)で、その目玉メニューのサラダを賞味。これが「シーザーサラダ」で、ここがその元祖という。さすがにうまい。ことにワゴンサービスでその場で提供されるそのドレッシングの味はさすが。
この国境の街で目立つのは、街中では歯医者、街外れでは車修理屋。ともにその安さを売り物にアメリカ人相手の越境ビジネスを繁盛させています。
それに付け加えておくべきなのが、街に薬局が多いことです。これも外国人相手のもので、先進国では買えない、あるいは同じ効用のものが安く売っているのでしょう。(これはオーストラリアの話ですが、安楽死の合法化を提唱する医師がツアーをくんでメキシコにきて、一団で安楽死用の薬を買って帰るらしい。)
11月4日(45日目)
早朝にホテルを出て、徒歩での国境越えを体験。7時過ぎに検問所に到着。すでに長い列が二列ある。一方は旅行者を含むこの日限りの越境者。他方は越境労働者の列。一時間ほどで、アメリカ側に立つことができました。私は、パスポートのほかにもIDの提示を求められ、オーストラリアの運転免許証でOKとなりました。
安くて便利なマイクロバスを使ってロスアンゼルスへ。朝のラッシュアワーに重なり、一時間ほど遅れ、およそ3時間でLAのダウンタウンに到着。
さっそく、リトル東京のスーパーへ行き、幕の内弁当に「食らいつき」ました。食傷気味の胃袋に、日本の味がしみわたりました。
この宿には特に名がないので、その住所(561 North Virgil)を借りて「バージル荘」と呼びましょう。
先にも触れましたが、この「バージル荘」は、我が家に帰ってきたかの心地よさがあります。沖縄出身の方がやっている古いアパートで、LAを訪れる「地味旅」趣向の人には、欠かせない場所のはずです。ここについては、いずれ別に書きたいと思っています。
11月5日(46日目)
オーストラリアの友人が待つ、パサディナのホテルへ。
彼や米国人の友人たちとは、8日の大統領選挙の日の夜、ここで選挙観戦の集まりを持つ予定です。わいわいがやがや、その行方を見守ります。
午後、洗練した感じのパサディナの街を散策。
11月6日(47日目)
午前中は事務仕事。
午後はダウンタウンで買い物。LA滞在30年の友人夫妻と夕食。