「体育系老人」

10月11日〈金

日本からの報道を読むと、ことに高齢化問題に関して、現状の高齢者の実像を、たとえば、70歳代で働いている人はほぼ半分に達しており、しかもその月収は十万円台と、これから高齢期を迎える50代への深刻な警告を発している。25年先の年金額は年10万円、つまり、労働は、年金不足額の穴埋めどころか、生活費を稼ぐのために、もう25年も続く、との警告である。いうなれば、報道はそうとは言っていないが、事実上、「死ぬまで労働」との予測である。

そういう時代の78歳を生きている私といえば、「体育系老人」(“会”抜きに注意)とでも言おうか。

つまり、頼れる身体をできるだけ維持することで、支出、ことに高価な医療出費を筆頭に、家事や食事など、自活ですませうる労働は可能な限り自分でこなすという、出るを減らして相対収入増とする、健康な身体あって可能な“作戦”を実行しているし、しえている。

言い換えれば、生活をまかなうために、自らをお金という媒体に変える労働を、直接生活に振り向けることで、お金のシステムにはまり込むリスクやロスを軽減する戦法である。

加えて、この戦法には、高揚精神効果という、一見はその副産物でありながら、実際は主産物以上の効果である、体を動かすという生活がもたらす効果がある。つまり、身心の働きの好循環がもたらす、予想をはるかに凌駕する効果である。

お金という便利そうで危ない方法に出来るだけ頼らない、自分をめぐる親身な周囲に直接の働きをほどこすことで得られる、非金銭価値――お金に変えられない価値――の獲得である。

 

10月12日〈土

冷たい南西風が強いが、気温は20度前後で運動日和。10キロを走った。往路が41分3秒。全体で1時間20分1秒。最近のベスト記録は、4月26日の1時間19分55秒だった。

 

10月13日〈日

昨日の影響で、右股関節にちょっと気になる軽痛があって、要注意が必要。

そこで今日は、散歩がてらの買い物のみとして、運動は休養。

 

10月14日〈月

別掲記事のように、専門医と面会。診断内容は予想通りで、経過検査を半年先の来年4月に行う。かくして、少なくともこの先6か月は、「体育系老人」など、他の事に専念できることです。

ところで、別に今に始まったことではないのですが、この専門医との遣り取りというのは、もはやひとつの手続きとなっていて、ひとつのシステムを牛耳っているのは彼らであり、こちらがそのシステムの働きを必要としている以上、その手続きに従ってゆかねばならない、そういった関係となっています。

このシステムとは、言うまでもなく医療システムなのですが、それには、医学体系という技術的なものと、もうひとつは、それに関わる多大な費用というものがあります。つまり、その技術と費用軽減の恩恵を受けるためには、そのシステムの要求する手続きを経ねばならないということとなります。

具体的には、必要とするものは私の身体状態の検査で、ある程度は自分の感覚から判るものですが、それが子細なものとなると、それも無理となります。もちろん、そんな検査も期待しないとするやり方もありえますが、私の場合、ことにガンについては、その症状把握を一連の検査に頼っています。それに、そうした検査には相当な費用もかかり、そうした手続きを経ていない場合、自己負担となってしまいます。

その限りで、私の場合、この医療システムを利用を必要としています。

 

10月17日〈木

おとといの6キロが問題なく済んだので、今日は8キロとしたのだが、やはり、右股関節に軽痛がぶり返した。

右足先の母指球の慢性的痛みといい、どうも、右足に故障が集中してきていて、要注意だ。足のふくらはぎがつり始めるのは左が多く、左足をかばいがち。以前に書いた「蹴上がり走法」にしても、まず右足でやってみることが多いせいなのかもしれない。

 

10月19日〈土

久々に1000メートルを泳ぐ。右股関節の違和感を用心して泳ぎにした。3週間振りの大台なのだが、28分57秒と、その先月28日の28分23秒より、34秒も遅い。

「体育系老人」などと威勢のいいことを言っていても、水準の維持をするだけでも、ぎりぎりと見るべきのようだ。

 

10月20日〈日

78歳と2か月。右股関節の違和感もあり、今日は相棒と二人で、付近の丘を越える5キロほどの歩き。

この違和感は、スポーツ性のもので、まだ、いわゆる老人性の変形原因のものではないだろう。この間の限度を挙げようとしたチャレンジを原因とするものだろう。よって、しばらくは、負担を避けることに心がける。

以前、膝に問題を生じた際も、陸上運動を避けて、水泳に集中した。

ともあれ、この年齢にいたり、自分の身体資源はますます限られてきている。しかも、自分の心的健康は、この身体資源の活用次第でそのレベルが決まる。つまり、その限界ある身体資源の最大有効活用を追求するのが眼目となる。

という次第で、この「体育系老人」、陸上運動に差しさわりのある今、このしばらくは、水上運動を主体とすることとなろう。

 

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