Day 84 (6月10日) 

整理をしていて出てきた昔のアルバムを思わず開いて、学生時代の写真を見つけました。その中に、大学1年の時、当時ワンゲルという運動部に属していて、同大学の学園祭に催された駅伝大会に出た時の写真(下)がありました。ほとんど50年昔、1966年秋のことです(昨年末におぼろげな記憶でちょっと触れたことがあります)。

駅伝走者2

50年の歳月のへだたり

その写真に、その時のタイムがメモしてありました。するとどうでしょう、7.5キロを26分30秒で走ったとあります(記憶していた27、8分どころではありませんでした)。時速にすると17km/hr となります。10キロに換算すると35分18秒で、現在のタイムのちょうど半分です。

その時、田町から三田にかけてのそうとう上り下りのきついコースを、部を代表して、第一走者として走りました。

昨年につづき再度追憶にふけりますが、さすが若かったのですね。今の二倍の速さです。

あるいは逆にして、67歳のいまにして、まだ半分とは、上出来と解釈すべきなのでしょうか。

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先にこのシリーズで、「『天皇の陰謀』の訳読を終えて」を書いて、日本の現代史における「ダブル・フィクション」に、私にとってのひとまずの節目を付けたとの見解を述べました。

しかしその後、ことにこの「憲法改正考」を掲載を続けながら、たしかに過去のミッシング・リンクの補充はできたものの、「フィクション」の時代はそれで終わっているわけではない、との思いを引きづってきています。

今回は、その新たな「フィクション」についての考察です。 詳細記事