日本では、9月19日は「敬老の日」であったようです。しかしここオーストラリアでは、父の日や母の日はあっても、老いを趣旨とする祝祭日はありません。そうした文化や制度上の扱いの違いのある「敬老の日」ですが、その日にちなんで本記事は、ほぼ十年前に掲載したシリーズ記事「老いへの一歩」への閲読データを用いて、読者におけるそうした「老人イッシュー」への関心動向を改めて分析しました。私は、ブログ発行は、蓄積された読者反応データの分析を通じて、書かれた記事のネット社会による評価度と、逆に、特定記事を設問にみたてたある種の世論調査という、二面の働きをなしえると考えています。本稿は、そういう二方向の意味を探った分析結果です。 詳細記事
量子理論という最先端の科学中の科学が、「死後の世界の存在を証明」と聞けば、誰しも「本当か」と大いに好奇心を刺激されるに違いありません。
たとえば、これをシンクロニシティと言うのでしょうか、今回の訳読中、「脳は必要不可欠か」とのセクションにやってきた時でした。それはこう説いているのです。
輪廻転生が示唆するように、精神は決して消滅せず、死はそう見せかけられた再誕生である。
この「死はそう見せかけられた再誕生」とは、実は、私がこれまでに繰り返し述べてきた「死という再・誕生」という考えと全く同じです。 詳細記事