2023年10月26日〈木〉
早朝、シドニー着。寒い。日本の方が暖かかった。
2023年10月27日〈金〉
案じていた旧友の死を知る。
昨年11月、彼が胃からの大出血で入院した際、電話で話したのが最後で、その後の容体が気がかりとなっていた。そこで今度の日本滞在の際、彼の携帯に電話を掛けたのだが「契約が解除されています」との自動返答。幾人かの心当たりの人にその消息を尋ねてみたのだが、判らず仕舞だった。
そこで帰豪後、彼の二人の息子の一人がギタリストと聞いていたことを手掛かりに、その名を検索した。そして品川でギター教室を開いている人が彼の珍しい苗字と同じで、合わせて分かった番号に電話すると、その人が彼の息子と確認できた。
だか、そこで聞けた消息は、彼の父親がこの8月27日、脳梗塞で亡くなっていたとの報だった。
私は、その旧友はこの世の正義のため、もっとも直接的に闘った果敢な戦士の一人であったと信じている。そのため、彼は自身の人生行路上には、多大な犠牲を払ってきていた。その一つが、彼のいかにも健康にしわ寄せがきている生き方だった。それがやはり、命取りとなっていた。
私の心底を率直に言えば、彼を含むそうした戦士たちによって、私たちの学んだS大学は、まともな大学へと実にみごとに変身することができたことだ。それは例えば、N大――今も変わらず体育会系人種が大学を私的に牛耳っている――との決定的かつ輝かしい違いである。ゆえにS大学は、彼らの献身を、キャンパスに記念碑を建てるなどをしてでも、それを公に評価すべきではないかと思う。
私のもう一つのサイト「フィラース」の題名は、学生時代、その大学の我が学科に設立した会の機関誌の創刊号を彼の三畳一間のアパートで徹夜で編集した際、そのタイトルに二人で考案した名である。それを想い起し、この兄弟サイトの立ち上げに際して再起用したものである。
友よ、安らかに眠り給え。君の人生は、そう社会を変えた。
2023年10月28日〈土〉
帰豪後、最初の8キロはじり。ほぼ一か月ぶりで、しかも最後の十日ほどは、連日、飲み食いばかりで体はなまり切っていたはず。それがいきなり、1時間5分30秒の「6分の壁」破りのタイム。予想ほどなまってはいなかったらしく、ことに往路では、足の筋力が増したような感じがあって、日本での山歩きの効果が残っている気がした。
2023年10月29日〈日〉
昨日の反動か、今日になると、足の筋肉痛がして、足取りがぎこちない。この十日間ほどで、筋力は維持されていたのか、弱っていたのか。ただ、確かなのは、山では、例の右足指の痛みは全くなかった。それが昨日のはじりでは、即刻ぶり返している。用心というか、運動による体の部位への負荷の違いの使い分けが必要なようだ。
身体情報という言葉がある。つまり、人間はこのような身体へと進化してきたのだが、そういう人間が外界から得る情報というものは、そうした身体を経て得られるものを越えられない。つまり、身体能力――ことにその感知能力――が衰えれば、それだけ、得られる情報も限られるということ。
ここに健康の身体情報上の意味がある。つまり、健康という身体能力の維持や拡大で、獲得情報の維持、拡大が図られる。決して未病なんぞといった問題ではない。
つまりは、人間としての創造性は、身体能力次第とさえ言えること。
これを高齢者にあてはめれば、その身体能力の度はエイジングを遅らせうるということ。
さらに言えば、身体能力の高さがさらにその能力の拡大を生むという好循環をもたらすわけで、運動自体が身体情報感知を磨くといってもいいくらいだ。
2023年10月30日〈月〉
専門医による、先(8月31日)のMRI結果の診断。
前立腺前部にガンの可能性のある部位があり、生検の必要があるとの見立て。
11月9日に、検査を予約。
2023年10月31日〈火〉
帰豪後はじめて、つまり一か月ぶりの泳ぎ。案の定、1ラップ(100m)が終ったあたりから、腕の筋肉の疲れがどっと出てペースが落ちるし苦しい。それを、いつものことだと我慢して泳ぎ続けていると、しだいに慣れがやってくる。1000mは無理だったが、800mまで泳ぐ。タイムは22分30秒。当然に、けっこうなスロー記録。
2023年11月1日〈水〉
8キロはじり、1時間6分37秒。
2023年11月2日〈木〉
4キロはじり、31分14秒。今日は連日で、無理をさけ、いつもの半分なので、タイムもよい。
今日、昔のアルバムを開いていて、学生(20歳)の時、7.5キロを26分30秒で走ったとの記録を見る。キロにすると3分32秒! 若かったとはいえ、今の倍以上の速さ。今日の4キロのタイムでさえキロ7分48秒。昨日のなら8分20秒。見るもあわれな差だが、まだ、はじれるのだから、それを良しとすべきか。