第33日(2023年2月23日〈木〉)
第35日(2023年2月25日〈土〉)
「蹴上がり」走法イメージ
今日は、大半は左足だけでこの
走法を繰り返してみたのだが、帰路の一部で、右足も加えて両足で試してみると、リズムを崩さず途切れなくやるのがけっこう難しいのだが、確かに、前方への加速感がある。それに、前傾走法は、数メートル先の地面ばかりを見てチョコチョコとどこか陰気なのだが、この上体を起こす走法は、顔を上げて遠くを見ていて視野があり、気分も明るくなる。
タイムは1時間8分45秒とまだお粗末だが、一昨日の1時間11分8秒からは2分以上も短縮されている。
第38日(2023年2月28日〈火〉)
第41日(2023年3月3日〈金〉)
ところが、サイクリングはサイクリングで、これを動体視力の衰えとも言うのだろうか、20キロちょっとほどの速度で大した速さではないのだが、目がとらえている視界がスムーズでない。何やら映像の秒当りコマ数が少ない画面のように、光景の動きがギザギザしている感じ。
まあそれでも、べダル漕ぎに右足問題はほとんど関係ないのだが、右足問題とは、どうやら部位「メンテ」意識では汲み上げきれない、もっと全体的な健康問題としてのスタンスが要るようだ。
第42日(2023年3月4日〈土〉)
今日も感じたが、自分にとってのはじりの効果は、事実上の「依存症」だ。気分が鬱的な時、それから脱出したくて運動する。これは依存だろう。ただそれが、運動という行為への依存であり、薬物への依存でないところがミソだ。運動へのそれは心身の健康度を上げる。薬物では逆で、悪循環へと陥ってゆく。
それにしても、運動を運動のためにしなくてはならない点に、一種の無駄を思う。運動が日常の生活のなかで自然にこなせていれば、運動のための運動はいらぬ。運動が生産と結びついているような生活とは、やはり、農業だの、徒歩での郵便配達。
その考えで、買い物に歩いてゆくことを進んでやっているが、断片的だ。
運動と思考生活の同時進行?
それとも、運動という環境への働きかけとは、環境にそういう結果を残す、つまり、そう書き込むこと、ということか。
この1ヶ月間のエクササイズ・ログ
2月07日(火) 散歩
2月08日(水) はじり 52分23秒 6km 75.6kg
2月09日(木) Meeting
2月10日(金) 泳ぎ 34分05秒 1200m 76.6kg
2月11日(土) Shopping
2月12日(日) はじり 51分47秒 6km 75.9kg
2月13日(月) 泳ぎ 33分24秒 1200m 76.6kg
2月14日(火) はじり 50分15秒 6km 76.5kg
2月15日(水) 泳ぎ 27分52秒 1000m 76.6kg
2月16日(木) はじり 51分25秒 6km 76.0kg
2月17日(金) 泳ぎ 27分09秒 1000m 76.2kg
2月18日(土) はじり 51分03秒 6km 76.0kg
2月19日(日) 友人宅 昼食会
2月20日(月) 泳ぎ 26分57秒 1000m
2月21日(火) はじり 52分42秒 6km 76.1kg
2月22日(水) 泳ぎ 24分36秒 900m 77.0kg
2月23日(木) はじり 1時間11分08秒 8km 76.4kg
2月24日(金) 泳ぎ 26分07秒 1000m 76.6kg
2月25日(土) はじり 1時間8分45秒 8km 75.8kg
2月26日(日) 室内軽筋トレ
2月27日(月) 泳ぎ 26分36秒 1000m 76.3kg
2月28日(火) はじり 1時間7分15秒 8km 75.6kg
3月01日(水) 泳ぎ 16分08秒 600m
3月02日(木) 歩き 6km 55分45秒 76.9kg
3月03日(金) Cycling 30km 77.0kg
3月04日(土) はじり 1時間8分39秒 8km 76.2kg
3月05日(日)
3月06日(月) 泳ぎ 28分17秒 1000m 76.9kg