第46日(2023年3月8日〈水〉)
第48日(2023年3月10日〈金〉)
これまで、運動は一種の予防行為と考えてきた。つまり、午後になっての疲労除去との位置付けだった。だが、最近の運動は、何かもっと前向きな効果があるようなのだ。つまり、運動をきっかけに、一種のブースト効果があって、ひとつの底上げ効果をもたらしてくれる。とかく低調に流れてきたような午後、そうした底上げは意味が大きい。
第51日(2023年3月13日〈月〉)
雨模様の涼しい日だが、水泳の記録の前進を試みる。1000メートルを、全力で泳ぐのだが、呼吸の苦しさが壁となる。確かに、吐く息を大きくする方が効果はあるが、それも続かない。タイムは26分24秒。500が13分10秒だったから、後半はよくやったタイム。それだけ大きな呼吸を繰り返した後は、その後何時間たっても、頭の中の透明感が違う。なんというのか、頭の中のごみが洗い流されたとの感じ。
大江健三郎が88歳で死去したとのニュース。二十歳代のはじめ、彼を通じ「ヒポコンデリー(心気症)」との言葉を知り、そういう自分の症状を対象化する術を教わった。いろんな意味で、人生の先輩だった。
第56日(2023年3月18日〈土〉)
そんなやり過ぎ気味のはじりなのだが、最後の1キロあたりだった。顔を起こし、胸を張って先に目をやってはじっていると、目に入る光景が、何か違うのに気付く。まったくいつものコースで何らの違いもないはずなのだが、たとえば、フットボールグランドの芝生の緑が輝くようで目に沁みるのだ。天気のよい夕方なので、日光は十分だが、光が満ち溢れている感じなのだ。
そこで思うのだが、運動には、健康維持や老化防止との受け身の観点でのそれはあるが、それ以上の、何かを創り出している能動的な運動というものがある。それこそ「梵我一如」に触れている印象なのだ。