Day 170+134(1月16日)
前に「タナトス・セックス」との題名で、人生の出口へと向かう時期でのセックスについて思うところを述べました。そこに漂う自分の内の、移ろい変わりつつある何ものかは、もし私が前立腺ガンの告知から、その臓器の全摘手術を受け入れ、自分の身体にそうした人為的足跡を残していた場合、これは確信をもって言えることですが、こうした「移ろいかわりつつある何ものか」を、自然なできごととして、かつ、そのようにありのままには、感知できなかったことでしょう。
私がそう確信を持つのは、組織サンプルを取る生検程度の軽微な手術を受けただけで、その後数ヶ月にわたった、私の身体や心理上に微妙に続く痕跡でした。それがもし、全摘という本格的手術に至った場合、専門医もそれなりに警告するリスク――私はそれを「重大な」と受止めたのでしたが――を伴う心身上への影響は、生検の比ではないだろうと予想しえるからです。
むろん、今後、改めて全摘の選択に本当に面する事態に至る可能性はあります。その場合、 果たしていかなる選択決断が妥当なのか、それは、その具体的な現実に遭遇してからでないと、今の段階からは何とも言えません。
ところで、ガンには多種多様なものがあり、患者やその家族への重篤度も様々で、それはその当人のみが関知しえる――第三者には関知しえない――問題です。
ことに、私が体験した私の前立腺ガンの場合、苦痛を伴う自覚症状は全くなく、あったものとは、血液検査の結果として出るPSA値という、数字化された現実のみでした。あえて言えば、そういう抽象化された「症状」だけでした。
そういう意味で、私のガン体験とは、そんなほんの“かすり傷程度”ともいうべき症状に関してのものであり、それについての感慨です。
そして、その程度のものでさえ(確かに重篤化の可能性は否定しませんが)、目下の小敵を討つのに大作戦を展開するかのような診断には大いに疑問を感じたわけでした。そうした「時期尚早」かつ「過剰医療」とでも言える道に、迷いこまされないで本当に良かったのは言うまでもありません。
それに「避けられて良かった」と言うよりむしろ、上記のように、静謐にそれと対峙すべき、やってきつつあった自分の身体や心境にまつわる貴重な変化を、自然かつありのままに体験できたことは、実に重大で味わい深い経験であったことです。つまり、それは得るべきプラスの体験であったことです。
さらにこの体験は、移ろいゆく四季の変化を堪能することにも相並ぶような、こうした体験とその感慨があってこそ、別掲のような、「越界-両生学」の展開をえるに至った、確実な跳躍台となってくれたことです。
こうした一連の体験は、まったく、事前での予想を超えたものでした。そういう意味で、きわどい隘路〔あいろ〕を、よくぞ抜けてこれたなとの感慨もひとしおです。
むろん軽々に言えるものではありませんが、社会一般の「死」への接し方には、死についての無知や誤解や迷妄を原因とした、根本的に逆さまな対処や操作が横行しているようです。上記の「隘路」とは、だから「隘路」であったわけでした。
Day 170+138(1月20日)
今日、もう一つ、決断をしました。この前立腺問題に関する限り、専門医には頼らないこととしました。
手続き的には、来月のアポイントをキャンセルし、その専門医との定期的接触を終りとしたことです。
ただし、自己判断で、当分は三ヵ月ごとの血液検査は継続し、PSA値を通じたモニターを行ってゆきます。そして今後、その値が閾値をこえた場合、一定期間、食事療法を強化してそのなりゆきを見、それが効果のないことが確認できた場合、改めて、専門医のドアをたたくこととします。
また、オーストラリアの専門医制度では、ただほんの数分の意見を聞くだけでも、一回一万円ほど、自前保険がきいても六千円ほどの費用がかかります。私の前立腺問題に関する限り、その相談内容とそうした費用とは、対価として納得できないものがあります。
そういう次第で、ドクターP、貴重な反面体験、ありがとうございました。
Day 170+139(1月21日)
明日から28日まで、昨年にづづき、ニュージーランドへトレッキングにでかけてきます。今回も南島ですが、こんどは本格的な山歩きで、三泊四日の小屋泊りで、有名なフィヨルド、ミルフォードサウンドを訪れるコースです。世界的にも人気のあるコースで、三つの小屋には、半年前から予約する必要がありました。ただ、小屋は宿泊のみで、食料は持参する必要があります。それだけ、パックは重くなります。
世界的な景勝地を行くこのトレッキング。大いに期待されます。ですが、雨の多い地帯で、予約の関係から日程の変更はできません。天候に恵まれますよう、祈るのみ。悪くすると、全日、雨の中の“行軍”といった「バッドラック」もありえます。
予報では、おおむね好天とのこと。