《良・循環》から《ID問題》へ

越境体験=自覚的取り組み編=その4

QL-Day 50(2019年2月12〈火〉

今日が「Day 50」との切りの良さは偶然だが、越境体験への自覚的取り組みも50日ほどともなると、やはり、ひとつの区切りになってくる。

というのは、そのような「老化」と「健康」の共存により、それがゆえの新たな視界が開き始めている。

すなわち、人生という《根源的に所与のゲーム》――気付いた時、それはもうそのように始まっていた――にあっては、その大詰めをそうしてほぼ“無傷”で迎えようとしている容量が、その「所与」であることに再度気付かせ、振り出しのアイデンティティ(ID)に立ち帰えることをもたらすからだ。

そしてそれは、「無傷」という一見自由な飛翔を得ているように感じられても、実のところは、IDという刻印からは逃れられないということだ。

というよりむしろそれは、この人生が、その「無傷」と「ID」という二重の具体性に彩られていたと言う、他に代えられぬ価値感である。それが、何よりもの財産であったという。

そしてその財産が、まかり間違っても、お金の蓄積や主義主張の固執といったありふれた抽象的なものに取って代わられてなくて、本当に良かったという安堵でもある(言うなれば、それが僕が国籍を選び変えないという理由でもある)。

 

こうした視界が見えてくるには、ひとつの背景体験があった。それは、ここのところで関わっている、本サイトへの投稿作品に接していてのことである。今回掲載のその作品の第三章に、次のようなくだりがある。

死ぬというのは、ある人々にとっては人生の終点のようなことであり、受け身で済む話だろうが、我々みたいに終点から始まったような人生にとってはそうはいかない。至難の業、いわば、幽霊が死ぬような難しさがある。あるいは、なんとか自分を帳消しにしようと、もがいていると言ったらいいか。

「子供の見栄」と題されたこの章は、そういうIDが、物心付いた時には瀕死なほど傷だらけであったという話である。そんなのは、古い話と言うなかれ。それどころかそれは、子供のいじめや自殺さらには虐待死として日々を逆照する、まさに今日的テーマである(「児相」や学校や警察などの関連職務にたずさわる人たちの必読資料になるべきだ)。

そういう「終点を始点」とした人生を“逆生”してきた著者によるやや馴染みにくいほどの表現には、そうした自分のネガティブなIDをポジティブな人格にまで蘇生し上げてきた奮闘が反映しており、かつ、自分の命を自分で出産してきたかの、他の誰にも代弁を許さぬ、ユニークさと自尊がにじみあふれている。

順当に「死が終点」と信じて終われる人生が、そうしたユニークさ即ち幼きIDを、とうに忘れていたというのはありそうな話だ。

老境にあって「子供の見栄」に回帰してゆけるのも、ほどよい健康がゆえだろう。

 

QL-Day 53(2019年2月15〈金〉

《ID問題》にかかわり始めると、そういう「かけがえのない事実」を、いつくしんで見る他者の目――あるいは、地球を外から見るかの宇宙の目――に思い至る。そしてそれはあたかも、先立ったあまたの魂かのごとくだ。

そういう地球が虐待死させられそうだ。

 

QL-Day 54(2019年2月16〈土〉

食い扶持を稼ぐための職業を「この世を忍ぶ仮の姿」と呼んだのは、まだ20歳台の時のNだった。やがて早逝した彼は、当時はまだ、大卒後就職した仕事を辞めていなかった。だが私はすでに“脱落”して久しく、せっかくと周囲のいう「一業」を成せぬこととなった自分を、恥と誇りの入り混じるアンビバレントな霧中に迷わせていた。

私はその後、いくつ「仮の姿」を持っただろう。今になって私は、この《仮りだらけ》の体験に、大いに鍛えられたことを思い出す。なまじっか「一業」に自分を徹底消耗させなくてよかったと。

 

QL-Day 56(2019年2月18〈月〉

以前にも書いたが、はじりの始めは、自分の身体の動きがいかにもぎこちない。体のバネがきかず、ごつごつと地面が響いてくる。

今日もそうだったが、1キロ少々はじると、それでも多少はスムーズになってきて、相変わらずの地面を這うような老人走りだが、その後はまあ、改善する。

それは歩きでも同じで、はじりを始める公園までの歩道上、行きの歩きはギクシャクし、はじりが終わって帰りの際は、いかにも快調に歩いていることにも現れている。

そこで思ったのだが、それはあたかも、どうやって運動するかを忘れてしまった体に、それを思い出させている作業のようである。

どうも、頭だけでなく、筋肉も、物忘れが起こっているようだ。

 

QL-Day 58(2019年2月20〈水〉

ここのところ、暑さのため、はじりの距離を短めにしてきたが、今日は曇天で最高気温も25度程度。そこで、8キロまで、距離を伸ばしてみた。それと同時に、標準タイムから2分も3分も遅くなるのは、いくら暑さのせいといっても、ちょっと考えもの。そこで今日は、距離も伸ばしながら、速度もあげようと工夫をしてみた。

それは自分で「振り子走法」と名付けているもので、走っている際、腰の左右のひねりを大きくして、そのひねり戻しの勢いで足の振りを大きくし、歩幅をひろげようとするもの。ピッチを上げるのと違って、足の振り戻しを利用するので、エネルギーはさほど要しない。つまり、苦しくはない。

その結果は上々で、ことに復路でそれを使い、往路より1分ほど、タイムを縮められた。そしてなのだが、意外な結果が出た。そうして、腰の運動を大きくして、腰回りの血流がよくなったためか、いつもの腰の不快感が大きく軽減している。

上にも書いたように、行きと帰りの歩きの違いなのだが、今日は、その帰りの歩き具合がスムーズでとても快調なのだ。行きのギクシャクした感じがまったくない。

腰痛とは、腰のうっ血のためなのだ。

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