無から有を生む仕組み

《四分の三プロジェクト》着手段階(その4)

3QsP Day 49(2021年9月9日〈木〉)

《四分の三プロジェクト》の早くもの成果か、コロナことにそのワクチンを考えていて、免疫というものが、人間(生命全体と言ってもいいかも)の発生と進化を推進してきた基本システムだと分かってきた。というのは、最近目にした中で、多田富雄が免疫を「スーパーシステム」と呼んでいる、それがいまいち何のことか曖昧だった。それがはっきりしてきた。すなわち、私はこれまで、「自己創成」とか「オートポイエーシス」とかと言ってきたものがあったのだが、それらはみな同じものを指していたということなのだ。つまり、それこそが、自分で作りながら自分以上のものを作る、無から有を生む、生命独特の仕組みなのだ。

その元が元以上のものを創る仕組みが、あるいは、元の情報が新たな情報を作り出す仕組みが、免疫システムの中に潜んでいる。だからこそのスーパーシステム」なのである。

その「自己」が「非自己」によって形成されるシステム。

「私」は、その「非私」を体験せずには、現在までの成長はなかった、ということなのだ。

多田は、「偶然や環境や経験などの、予測できない要素が入り込んで、同じDNAのプールからできる個体の「自己」を変えてゆく」と言う。

私が、その一つの「自己」として、移動という「偶然や環境や経験」を通して「両生論」としてきた、言ってみれば、その一つひとつの場面が、私にとっての免疫反応だったのだ。

 

3QsP Day 50(2021年9月10日〈金〉)

そういう免疫体験として、目下のコロナがある。

社会としては、ワクチンの多数接種をもって、集団免疫の獲得による感染収束を狙っている。それは、感染率と免疫率の掛け合わせによる単純算術論理に立つ方策だ。

個体として私は、ワクチンに頼らなければ、このウイルスを克服できないのだろうか。つまり私の対応力はゼロなのだろうか。むしろ、私はこれまで、ワクチンに頼らず、それなりの自己免疫を作りつつ、ここまで、自分の自然免疫を築いてきた。その免疫力で、このコロナウイルスに自力対応可能なのではないか。少なくとも、このコロナウイルスは、私の免疫システムにとって、さほどの新体験ではないのではないか。

逆に言えば、もし、世界の人口が、私のような免疫体験者で占められているなら、コロナのこれほどの感染拡大はなかったのではないか。言い換えれば、人工免疫や薬剤の普及で、人々の体内環境はそれによって支配され、大多数の人々の免疫システムはもはやメタメタに役立たずになっているのではないか。

つまり、自然界には、良きも悪しきも、さまざまなウイルスが溢れており、時にそれによって死なされたり、時にそれによって新能力をつけてきたのではないか。そういう識別力は人生体験と同じように、毎日の生活から得られており、それを絶ったり、ワクチンによるつぎを張るような情報を与えても、一時的効果はあっても、長続きする体系的情報には成りえないだろう。つまり、そういう蓄積と連関性が重要で、たとえば、無知な人に外から急場の知識を与えても、それを消化するのが困難であるのと同じことだろう。

 

3QsP Day 53(2021年9月13日〈月〉)

運動を十分にした日の充実感、爽快感について思うのだが、情報の出所は脳ではなく、身体なのではないか。確かに、情報信号処理をつかさどるのは脳だとしても、その一連の情報群は、身体全体とのコーディネーション無くしては、意味なす情報を成さない。

逆に、アスペルガー症候群者の持つ情報は、たとえ量は多くとも、それは個々が断片的で総合的なコーディネーションをなさない。それが故に「空気の読めない」メンタリティーを作ってしまう。

つまり、身体とは、情報の入り口や感知装置で、その働きなしでは外界との接触はできない。これを外来身体情報と呼ぶとしよう。

またそれ以外に、そうした身体由来情報には、身体の各部位自体の活動が発する内発身体情報があって、ことに充実感とか爽快感とかは、身体的体験なくては出てこない。

この検知器としての身体と発信器としての身体の両情報機能を総合して呼んだものが「スーパーシステム」だろう。

つまり、毎日の自己創出の実験現場で何が起こっているのかということ。

生命は、自分のもつ「スーパーシステム」を、人間に覚らせようとし、それをもって、より「スーパー」に向かわせようとしている。

 

3QsP Day 54(2021年9月14日〈火〉)

このひと月ほど、血圧のデータをとってきている。起床時の沈静血圧から、スコッド40回ほどの負荷を与えた時までの30数値。それをグラフにしたのが下図。

これによると、沈静時は、脈拍が47で血圧は110/65。運動時が、脈拍が100で血圧は150/75あたり。中央値では、120/70ほど。

データによると、年齢別正常値は以下の通り。

このデータの限りでは、私の血圧年齢は30代にもなっていない。ほんとか。

 

3QsP Day 55(2021年9月15日〈水〉)

今日は、調子見もかねて、ほぼ2週間ぶりに8キロをはじった。タイムは1時間6分3秒と平凡に終わったが、問題個所にはやや違和を感じた程度。むしろ、昨日の血圧の記録に刺激されて、最高脈拍がどのくらいか試してみた。8キロをゴールしてから、普段なら公園でクールダウンの体操をするのだが、続けてそのまま家まで、ほぼフル速度に上げてはじってみた。

直ちに測定してみると、脈拍123、血圧は155/80。

年齢別最高脈拍の計算式は、208-0.7×年齢=155.5で、この測定値はこの値の80パーセント。

この数値は、8キロ後に付け加えた短時間フル速度によるもの。8キロ中に、もっと速度を上げられるということか。

というより、最近の感じは、むしろ呼吸の苦しさを強く感じる。その改善が必要のようだ。

 

3QsP Day 57(2021年9月17日〈金〉)

今日も8キロはじり、最後の全力走後のゴールでの脈拍をとってみると145ほど。最高値の93パーセント。呼吸は2吸い2吐きの腹式を意識して行った。いくらか楽な感じだが、タイムは1時間6分8秒と、判で押したような6分台。右足の問題は現れず。

 

3QsP Day 59(2021年9月19日〈日〉)

コロナに気を取られているうちに、季節はすっかり春。戸外で運動をしていると、咲き誇る花々が目に、そしてジャスミンの香りが鼻に、それぞれ春の訪れを告げてくる。

 

3QsP Day 60(2021年9月20日〈月〉)

4年前の今日のこの欄への記入。「あすから三日間の店の勤務を終わらせ、来週月曜の午後、インドに向け出発」。この三日目の夜、店で変調が始まった。くも膜下出血の発症だった。そして24日に入院。むろんインド行きはキャンセルとなった。それが今、絶好調の毎日を送っている。コロナが無ければ、どこか外国にいただろう。「くも膜下出血」と「コロナ」。人生何が起こるか分からない、二つの出来事を銘記する日。

 

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