谷あり山ありの一年でした

  私の健康エコロジー実践法 =長期戦編=その7

Day 170+101(12月14日)

「日常化」を始めて、100日を越えました。

体調はすこぶる順調で、右肩の腕関節に痛みが走る——冬季の水泳休止による関節の固着化のためと思われます——以外には、これといった問題な自覚症状はありません。

今日の夕方も、10キロはじりをしたのですが、それに出る前には、正直なところ、気乗りのしない気分があったのですが、それを押してなんとか「はじり」終わってみると、いつものように、実に爽快な事後感を満喫することができました。

まさに、飲酒や消極的な休息などでは決して得られない、質より量の「はじり」ならではの超・健康な実感です。そして、おいしく夕食が食べられ、やがてその後には、自然な睡魔がやってきてよく眠れます。

こうした爽快感は、若いころは、当たり前のように日々の生活の前提とされていました。ところが年齢を重ねますと、それを得るには上記のように、あえて踏み出すなんらかの努力のもたらす、たま物となっています。

そこで、そういう花を咲かせるためならば、自分の時間や努力の相当部分を費やしても、それだけの価値はあるものと、ますます強く受止められてきています。

目的化した健康——これはいわば自分の「メンテ作業」といえるのでしょうか——、それもありです。

つまり、そうした実りは、自分で種をまきそれを自ら育てて初めて得られるもので、出来合いのものがあらかじめ用意されているものでは決してないと、しみじみと噛みしめるものがあります。

 

Day 170+103(12月16日)

今朝早く目覚め、未明のくらがりの中で、私自身の健康をめぐる今年一年の体験を思い出していると、以下のような数式が頭に浮かんできました。かなり象徴的で簡略化した視点ではありますが、ある核心を射ているかと思います。

 

 命-心=マネー ・・・(1)

 命 × 心=健康  ・・・(2)

 

そこで、(1)式を変形すると、

 命=マネー+心 ・・・(3) 

となります。

また、(2)式を変形すると、

 命=健康÷心  ・・・(4)

および

 心=健康÷命  ・・・(5)

となります。

 

(1)と(2)式は、私の体験から直観したものですが、これらを変形して得られる(3)および(4)式は、それなりの意味を語っているようです。

すなわち、(3)式は、命の維持には「マネー」と「心の働き」の両立の必要を、(4)式は、「健康への深慮」を、それぞれに表しているかのようです。

 

そこでさらに、(4)式を、(1)式の「命」に代入すると、

 マネー=健康/心-心=(健康-1)/心 ・・・(6)

となり、また、(5)式を、(1)式の「心」に代入すると、

 マネー=命-健康/命=(1-健康)/命 ・・・(7)

となります。

それぞれをこう変形してみますと、その意味するところが、

(6)式は、「マネー」とは、「(健康-1)」つまり「病気」をわずらい「苦境にあえぐ心」を、

また(7)式は、「(1-健康)」つまり「ストレス」をかかえた抑圧状態を意味しているように解釈されます。

 

こう各式を見てきますと、あれやこれや複雑に見えるかの私たちの周辺の事柄も、数式化すら可能な、以外に明快な原則によってつかさどられていることに気付かされます。

 

Day 170+107(12月20日)

「正常化」が定着してくるということは、緊急態勢が緩和され、平常態勢へと移ってゆくことです。そうした移り変わりにともなって、この「長期戦編」も、本来の「健康エコロジー実践法」へと回帰してきています。

つまり、上の小見出しの「Day 170+107」という数字表記のうち、「170 」が「緊急態勢」中の日数であり、「107」は「平常態勢」に入った後の日数であるわけです。そのうち、この「107」も「170」を越えてどんどん大きくなってゆくでしょう。

ちなみに、私が70歳の誕生日を迎えた日、それは「615」となり、80歳の日には「4,263」となります。

こうやって日数化してみますと、私の平均余命の80歳+αとは、残すところ、ほぼ5,000日ということとなります。

「五千日」。まさに「逆算」そのものです。“カウントダウン”の実感が目の当りとなった感がします。

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