QL-Day 197(2019年7月9日〈火〉)
政府が認知症と深刻に取り組まなければならないのは必至だが、我が「健康エコロジー論」から言えば、認知症とは、「生き方上の自閉症」とも言える。確かに年齢と関係しているように見えるが、それは、高齢になるほど生活上のフレキシビリティがなくなり、家族をも含んで、周囲の社会とつながり合う回路が断たれてしまったがゆえだ。いわゆる「認知能力」の衰弱は、その断絶の知能面への現れだ。むろん、身体上、行動上、習慣上などの他の現れも伴う。
また、逆に言えば、それは、現役時代の過剰適応による凝り固まった生き方形成による引退後の環境に適応できなくなったが故にだ。
現役時代に「人間ドック」で診断するように、「人生ドック」を行って、生き方のフレキシビリティの診断をはかることが必要だろう。
QL-Day 201(2019年7月13日〈土〉)
最近、「デュアル」という言葉によく出会う。デュアルとは、二重の、とか、二股をかけた、という意味だが、その反対の言葉が、たとえば「一本筋」といった言葉だろう。つまり、社会的に、単線の生き方への疑問や危険、そして、多価値への願望やリスクの分散の考えが広がってきているのだろう。それも、終身雇用制が崩壊してリストラの恐れは日常的となり、二股、三股の生き方ができなくては命取りにもなりかねない世の中にもなっている。
僕の「両生」とのコンセプトも、水陸両世界に住む「両棲」をヒントにしたものだが、その発端は、半世紀も昔のことだ。僕が若いころは、それこそ社会は単線や一業に秀でるの当然の生き方であって、意を決しても、それから逸脱することは脱落であり自殺行為に等しかった。そこで、「仮の姿と実の姿」などといった思い詰めた考えも抱いたりしたものだ。やがて職業上の一つの節目を発見した時、いきなり、海外生活へとデュアルするジャンプとなった。
今から思えば、二十代初めにして、そのデュアルを選択したのは、自分の人生で最大の決断であり収穫だった。
そもそも人間は、目も耳も手も足も、すべてデュアルな構造をもっている。
QL-Day 203(2019年7月15日〈月〉)
前回、EDをカミングアウトしたのだが、そもそもEDとは、人間関係上の「コミュニケーション・ギャップ」の一種とする見方もあろう。つまり、そう大上段に構えるのを一方に、他方、特殊な個別の場合とする見方もできる。またしても、二元論の両極端に降り回されるというわけだ。。
QL-Day 205(2019年7月17日〈水〉)
NBN〔インターネットの光回線〕がようやく設置された。スピードはやや上がった感じだが、期待ほどの向上はない。せいぜい5割ほどのスピードアップか。
QL-Day 206(2019年7月18日〈木〉)
数学や物理学界で、それを「最も美しい人類の至宝」と讃えられている公式がある。オイラーの公式である。直観だが、どうもそこらあたりに、ローカルとノンローカルのギャップに架橋するヒントがある気がする。彼らに言わせれば、数学とは、宇宙の言語であるという。ならば、その難解に応えてくれてもよさそうだが、どちらも狭域の専門家だ。
オイラーの公式とは、
であり、
はオイラーの等式と呼ばれている。
これが何を意味しているのか。
ともかく、以前から言うように、要所は i なのだ。
QL-Day 207(2019年7月19日〈金〉)
彼らは数学をそう言うが、突っ込んでその発達の歴史を見てくると、どうもそういうナッツたちの“技巧遊び”、もっと言えば“信仰心”の臭いがしないでもない。よく言っても、専門家同士の思考実験上の展開である。
さてそこに、ずぶの素人が首をつっこんで、何をなそうとするか。
QL-Day 208(2019年7月20日〈土〉)
73歳の誕生日まであとひと月、QLも丸い数字だ。
QL-Day 209(2019年7月21日〈日〉)
今日投票の参院選の出口調査では、与党勝利となりそうだ。午後6時現在の投票率は、前回を5.19%下回っているという。前回の投票率は54.70%だったから、今回は半数を下回るのは確実だろう。(義務投票制の)オーストラリアの93%ほどと比べると、民意の意味の違いは大きい。