「はじり瞑想」or「はじり禅」

意図せぬ「コロナ予防」かも

越境体験=QL;コンタムライフ実践編(その5)

QL 1Year+74Day(2020年3月7日〈土〉)

KENFUKA連載の最終回を書いていて改めて気付いたこと。それは、私の《はじり》が、一種の瞑想行為でもあったこと。それがエクササイズであるのは自明のことだったのだが、なにやら薄々気付いてきたことに、その事後の爽快感は、身体現象であるのももちろんだが、それが精神現象でもあったことだ。名付けて「はじり瞑想」あるいは「はじり禅」。言ってみれば、「動」と「静」の両極にわたる瞑想。

 

QL 1Year+75Day(2020年3月8日〈日〉)

昨日は、その「はじり瞑想」をやってみたのだが、なんと12キロが久々にはじれて、1時間36分44秒と、標準ペースからわずか44秒の遅れ。二重にびっくりの成果。瞑想してのはじりとは、無私でのはじりということで、体の不自然がとれて、効率が上がったようだ。ことに、体が、回転している車輪のような足をもった機械のような感覚で、キロ8分のペースが持続できた。それと、1時間以上、体温を上げ、汗を流しているということは、おそらく、ウイルスに抵抗する免疫が働いているのと同様の状態――ウイルスや細菌は熱に弱い――で、それこそ、コロナの予防にもなっているのかもしれない。

それと、3月5日付で書いたが、前かがみをやめて胸をはり、腰に上半身の重心を乗せるような感じの姿勢、これは、呼吸のリズムと合わせ、「瞑想」につらなる重要な要素のようだ。背骨を軸とし、体が左右に回転する感覚だ。

 

QL 1Year+76Day(2020年3月9日〈月〉)

昨日は「はじり瞑想」の二匹目のドジョウをねらったが、10キロで1時間21分34秒と、平凡なものに終わった。意図しすぎたのか。

 

QL 1Year+78Day(2020年3月11日〈水〉)

今日は8キロなのに、瞑想どころか、はじりにもならなかった。復路はほぼ歩き。それで1時間10分15秒。体の調子と言ってしまえばそれまでだが、何が違っていて、こうも差が出るのか。

一方、環境のことだが、今日の空気は澄みわたっていて、気温も涼しい。芝の上でストレッチをしていても、自然との一体感に浸れる。それに比べ、一月中旬の大森林火災の時の雰囲気は異常で、空から雪のように灰がふってきていた。

 

QL 1Year+83Day(2020年3月16日〈月〉)

今日のは10キロのはじり。にも拘わらず、1時間21分2秒と、標準ペースからわずか1分の遅れ。往路の4キロあたりまでは、まるで調子が上がらず、そこで折り返すかどうかに迷ったが、標準ペース+1分をわずかに下回っていたので5キロまでのばして折り返す。復路は調子が上がり、8キロ地点では標準+30秒近くまで追い上げた。でも、その後でスタミナが切れて、標準ペース+1分少々で終わった。

今日もそれを確認したが、キロ8分(時速7.5km)の標準ペースは、「老人走り」になるかどうかの分かれ目のペース。それ以上にペースが上げられるということは、上下動を抑えた摺り足で走る「老人走り」をやめ、弱いながらも足のスプリングきかす走法でないとそれは不可能。

今日のように、4キロ前後で、十分に体が慣れてきたのか、そのスプリング走ができはじめたのは驚きで、6キロまで折り返しを伸ばそうかと迷ったほどだった。

そこでなのだが、この体に「慣れ」を与えるには、やはり、「瞑想」というか、体に無理な動きをさせない、いろんな力みからの解放が欠かせない。

そしてスタミナがついてくれば、10キロ、12キロの標準ペース内での走りも可能となるだろう。

そうだとしても、その前段の、「瞑想状態」による先導なしでは、絶対無理だろう。

 

QL 1Year+88Day(2020年3月21日〈土〉)

いつもそうなのだが、はじりの前と後の体の動き具合には、天地の違いがある。はじりの準備ストレッチをするために公園に行くまでの歩きは、体の不具合が絡み合っていて、ぎこちないことこの上なく、あちこちに痛みすらあって、いかにもじじくさい。

それが、十分なストレッチをしてはじり始め、ゆっくりと体の温まるのをまって調子を上げ、それで、8キロなりをはじり終えて、やはり、クールダウンのストレッチを念入りに済ませる。そうして、家へと向かう帰りの歩きの具合はすこぶるスムーズで快適ですらある。

その行きと帰りの差を誰かが見比べたとすれば、おろらく、10年どころの差ではない、別人同士を見ることだろう。

一度のはじりに要する時間は、計2時間ほどだが、これをするしないの違いは、このように10年以上のタイムスリップに等しい。この2時間の効用は、とても金銭に代えられるものではない。

以上は、はじりの前後の効用、つまりその日の断面での話だが、その効用は、むろんそれで終わらない。そうしたはじりの持続はその効用を蓄積させ、インフラとしての身体の働きをリフレッシュし、生活の質を向上させる。そして、そうした向上した毎日の蓄積を考えれば、その人生の意味すら変えてゆくだろう。

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