「修行《後》風景」シリーズの開始

料理技必須時代の到来予感

修行《後》風景(その1)

今年3月22日号で、それまで続けてきた「修行風景」シリーズを終了しました。その後、コロナ禍で、当地でもレストラン業界への打撃は深刻です。私の場合、オーナーの家族問題が直接の原因だったのですが、くしくも時期は重なり、コロナ危機に巻き込まれたと同然の影響の中にあります。

昨今の報道でも、フランス、ことにパリで、コロナ第二波の深刻な拡大にも拘わらず、政府は徹底した対策を打てないでいます。その大きな要因のひとつが、フランス料理界のシェフたちの開店継続の強い要求があるからだと言います。生活も、ビジネスも、世界的評判も歴史もかかっているわけですから、当然といえば当然の経緯です。

私の場合、いわば異例の初っ端のようなシェフ業でしたから、このコロナ打撃の影響も軽微で、ある意味で、ひとつの試みの達成となった格好になっています。

というのは、いわゆる料理の技量というものが、最近の健康志向の動向とも重なって、人々の生活の必須技量にもなりつつある状況と関係しています。

その第一は、リタイア生活に入った人、ことに男が、自活する能力の中に、この料理技量というのが含まれ始めていることです。言うなれば、それくらいも出来なければ、健康に生きていけないという認識の始まりです。

第二は、これはまだまだ憶測の段階ですが、コロナの沈静化が見られた後、いわゆる外食産業というものが大きな変容を遂げるのではないかとの予感です。つまり、コロナ不景気下の人々の収入環境の悪化と“自分時間”の増加あるいは都市集中の分散化という「新常態」の中で、外食の機会や必要がかなりに減って、“お家”作業に取り込まれるのではないかとの予想です。

高級料理の分野は――ますます高価化して――生き残ってゆくでしょうが、ポピュラー部門は、中食や家庭内食によって、浸食されるだろうとの予想です。

私個人の事情で言えば、「修行」のお陰で、自分でする料理が日常化し、好みにも合うし、健康配慮も十分に行えるし、なによりも経済的で、一石三鳥、四鳥の効果があります。これほどの効果は予想していなかったのですが、還暦後のほぼ十年の修行期間は、そういう意味で、実に有意義な十年だったと認識を新たにしています。

やってきたそうした新環境を迎えて、この修行シリーズもタイトルを改め「修行《後》風景」として、気の付いたことを書き留めてゆきたいと思っています。

 

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