「神のご加護を」もらった

越境体験=QL;コンタムライフ実践編(その19)

QL 1Year+291Day(2020年10月11日〈日〉)

昨日のはじりは10キロで、タイムは83分45秒と並みだったのだが、終了後が格別だった。気温も24,5度、快晴、風もほどよくあって、事後ストレッチの後、芝の上に座し、夕日をサンゲージングしながら、満悦した気分を味わった。

そこで思ったのだが、この80分余りの運動で、何かが変わり、何かが作られている。それが何かを言うのは難しいのだが、一種の全心身インフラがレベルアップしている、そんな感じである。

だれかがどこかで、「瞑想ランニング」ってことを言っていた。自分の場合、それが瞑想かどうかは分からないが、はじり中、次第に何も考えなくなっていって、無心状態になっている。あと何キロとか、どこが苦しいとかぐらいは思っているが、そんな程度だ。それをある種の瞑想と呼べなくもない。

そうして、80分余りを過ごし、最後は確かにほとんど無心状態でゴールする。

この間、脳には十分な血流があって、臓器状態はベストのはずだ。

それで、そうして帰宅し、夕食後はもう眠いばかりで、何もできない。ルーチン作業をなんとか片付けて早めに寝る。そして深夜に目覚めるのだが、ここで自称「夜勤作業」を行う。

これが実に驚くばかりなのだ。スパッ、スパッとアイデアが湧いてきて、それはそれは生産的だ。それらが消えないうちに、書きまくるようにPCに入力して、疲れたところで再度、眠りにつく。

現役時代の、仕事をしていた実感は確かだったが、それとは大きく違う、大空のように、もっと広がった働き。

 

QL 1Year+292Day(2020年10月12日〈月〉)

シドニー北部の国立公園地帯、ホークス川河口付近からコーワンまで、15キロほどのブッシュウォーク。5人のメンバーを引率するベテラン爺の恰好。一人突出した高齢者のはずなのだが、なぜか頼もしがられる。

ホークス川のほぼ河口部を背景に

 

QL 1Year+293Day(2020年10月13日〈火〉)

泳いだが、やや疲れが残っていて、800メートルで打ち切り。

 

QL 1Year+294Day(2020年10月14日〈水〉)

ミーティングから帰宅後、10キロのはじり。

タイムは凡庸だったのだが、その際、面白いハプニングに出会った。

5キロ地点で、ちょど折り返しをして戻り始めた時、散歩中のいま追い越したばかりの白いあごひげを蓄えた老人とすれ違おうとすると、いきなり、声をかけられた。開口一番「あなた、何歳か」と聞かれた。「74歳です」と答えると、驚いた顔で表情を和らげ、「私も74歳だ。1946年の生まれだ」との返答。そしてさらに「Good Bless You(神のご加護を)」と言われてしまった。

帰路を続けながら、その「神のご加護を」って、どういうことなんだろうと考えさせられた。それほど、へとへとと危なっかしく見えるのだろうか。

どうやら、そんな領域に達しつつあるのかも。

彼には前にも出会った気がするのだが、同年齢と思しき僕を気に留めていたのだろうか。

 

QL 1Year+296Day(2020年10月16日〈金〉)

今日は、曇天でやや寒いくらいの天候だったせいか、10キロのはじりのタイムが81分17秒と、悪くなかった。

そのクールダウンを終えて家に向いがてら、面白い体験をした。

体験というほどのものでもないのだが、歩きながら、どこからともなく、「体くん、良く働いてくれるね。爽快な気持ちにもさせてくれて、ありがとう」、そんな会話というか、独白というか、そんな何かがふと生じてきたのだ。

通常なら、「今日は調子がいい」とか「呼吸が苦しい」とかと、体調の感覚が“自分の”感覚として起こってくるのが普通だ。

それが、体は体で動いていて、それを他者のように外から、その具合を観察しているのだ。

こうしたある種の、心・身の分離体験は、ともあれ初めてのことと言っていい。

何というのだろうか、両者が、親しい友人同士の感じで、そして「私」は、その体側にあるのではなく、心の側にいる。その体側が、信頼できる友人のごとくに感じられているのだ。

この分離している私は、そうあれる自分を支えてくれている体側に、そう、深い感謝の感じをもっているのだ。

(ところでこれって、量子理論でいう、「観測」と「収縮」のことなのだろうか。)

 

QL 1Year+297Day(2020年10月17日〈土〉)

昨日の続きだが、運動する身体を「観測」している、つまり、“瞑想”としての運動があって、それに対し、その観測から、その“反映”つまり「収縮」として生じてきている「私」。 

この体験を、このように、量子理論に照らして、以上のように解釈しうるものなのだろうか。

ともあれ、それを「瞑想」と呼ぶかどうかは別としても、身体と自分を対置して受け止める意図的体験はそのように存在し、その結果としての分離体験とは言えそうである。

この運動している身体とともにある自分を「局地的自分」とすれば、運動する身体を観測する自分は「非局地的自分」としうるのかも知れない。

 

QL 1Year+298Day(2020年10月18日〈日〉)

昨日は10キロのパワーウォーク(連日の10キロはじりはさすがにきつい)。だが、そのタイムが86分50秒と、昨日のはじりと5分半ほどの違いでしかない。このタイムでは、1キロが8分41秒。これを遅い記録、例えば14日の84分48秒つまり1キロ8分29秒と比べれば12秒の差でしかない。どうやら、1キロ8分30秒台が、私のはじりと歩きの境目のようだ。

ただ、パワーウォークをして気付いたのだが、疲れ方は、こちらの方が重篤。不慣れもあるのだろうが。

 

QL 1Year+301Day(2020年10月21日〈水〉)

シドニー西部のブルーマウンテンで、20キロ弱の山歩き。健康行動と産物の共有。

 

 

 

 

 

 

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