75歳以上という《新しい世代》

《四分の三プロジェクト》構想

前号掲載記事の「主体性ある複眼視野」で、75という歳に何か示唆するものがあると、いかにも持って回った言い方をしました。そこでその「示唆」なのですが、それは、故日野原重明先生――2017年に105歳で他界――の提唱で2000年に設立された「新老人の会」の会員規定に、75歳以上をあたかも“本”会員とするかの線引きがあることに関連しています。

ちなみに、その規定では、会員区分を以下のように定めています。

シニア会員  75歳以上

ジュニア会員 60歳~74歳

サポート会員 20歳~59歳

つまり、75歳に満たないものは、なんとまだ「ジュニア」であるという規定です。75で線を引くとはけっこう独特な見方と思うのですが、そこに、日野原氏ならではの独自な視点があります。

氏によれば、その「新老人の会」の「新」とは、「新・老人の会」なのではなく、「新老人・の会」としての「新」で、これまでにはない新しい老人像を提唱したものです。しかも、この老人の「老」も、年老いた「老」ではなく、「老成」とか「老巧」とか「老熟」の「老」で、経験を深め熟達したという肯定的な意味の「老」を意味するものです。

つまり、健康を保って自立し、かつその長い体験を生かして社会に関わってゆこうとする老人のことです。まちがっても、老弱して社会の援助を必要とする老人のことではありません。

そして、そういう「老」域が「75歳」からであると言うのです。

ちなみに、2012年、氏は100歳を機に「フェイスブック新老人の会」を立ち上げた際に、自らこう語っています。

75歳以上のシニアというのは、政府がいうように、75歳以上を後期高齢者と呼ぶ元気のない老人のことではなく、精神的にはつらつとし、まだ、何かをやりたい、何かを学びたいとする老人のことで、若い人たちにも、ああいう風に年をとりたいと思われる老人のことです。〔https://www.youtube.com/watch?v=Va63ci7q75o〕

また、氏が他界の直前に遺した言葉ではこう述べています。

世の中でいちばんわかっていないのは自分自身のことだ、ということに〔100歳を超えたあたりから〕気づくことができました。これは、年をとってみないとわからない発見でした。/「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから」/80歳の頃の僕が書いた言葉です。(略)80歳の頃の自分がかわいかったなとさえ思います。〔『生きていくあなたへ』(幻冬舎文庫 2020年)p.28-9〕

そういう「新老人」による会が「新老人の会」です。もちろん日野原氏は、そうでない老人を排除はしていませんが、会の中心となるべきそういう《新しい世代》の要件を満75歳としているのです(考えようでは、ずいぶんとエリート主義です)。それは、きりよく60歳でも70歳でもいいだろうに、なぜ75歳なのか。

それは、その歳になってみれば解ります。僕もそこに節目がありました。つまり、その理由はいろいろあると思うのですが、要は、人間、そのあたりになると、自ずからやってくる、確かな境目があるようなのです。

 

ところで以下はつたない私見ですが、氏の他界により、「新老人の会」は全体を結束させる求心力を失ってしまったかのように、全国組織(もしや世界組織)だった会は各地方組織の連合体に改められてしまいました。まさに「巨星落つ」です。しかし、新たに生まれたどの地方組織もその名に「日野原重明記念」を冠しており、そのように「結束」が名称として表明されています。いよいよ、氏を頼らずに、各々自立して氏の遺志を引き継いで行こうとの決意の現れかと推察します。

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