《二重の人生》を持つこととなった

《四分の三プロジェクト》 コラボ段階(その11)

3QsP Day 244(2022年3月23日〈水〉)

昨日、遅れていたモグサが着いて、さっそく1回目を施灸。一足先に届いていた二枚の板切れを使い、説明書通り、鼠糞大のモグサをひも状に延ばす。それを3ミリ位の長さにつまんでツボに立て、線香で点火する。ツボは、膝横の「三里」と足首内側の「三陰交」の二か所で、左右で4か所。その各点に5回(5壮〔ひ〕と数える)づつ、全部で20壮、施灸する。点火すると火が先端からすうーと燃えて、根本に達した時、ツーンとした刺激が走る。それが何やらただの熱さや痛さの感覚とはちがうところが興味深い。

今日はその2回目。慣れてくると、熱さも感じなくなり、気持ちの良い刺激となるという。

『フィラース』の記事にも書いたように、これは、ちょっとした偶然でメールを交わすこととなった大学時代の後輩が、カナダで鍼灸師をしていて、前立腺がん治療にお灸を奨められたため。モグサをはじめ、その道具がこちらでは手に入らないので、一切合切をカナダから郵送してもらった。

このお灸の開始は、東洋医学、ことに日本伝統医学の効用を信頼してのもの。つまり、西洋科学や医学の分析中心発想に欠けている、総体的な捉え方の実用性への着目。言い換えれば、自分の人生という実験に、どうして、この有効性を取り入れてみないのかとの考えの適用。

 

3QsP Day 245(2022年3月24日〈木〉)

故日野原氏提唱の「新老人」という「はつらつ老人」は、どのくらいいるのだろうか。その「新老人」を言い換えれば、自立自給自足人ということで、一種の《全自働人間》だ。言ってみれば、人間の歴史の流れの重要な変化であった「分業」を逆流して、原初の生活形態へと向かうことを意味する。

この先祖回帰する人間、これを【現代原初人間】と呼ぼう。

 

3QsP Day 250(2022年3月29日〈火〉)

三度目ワクチン

 

3QsP Day 253(2022年4月1日〈金〉)

ネットに模擬現実を乗せるのがバーチャルリアリティーだが、今日、本物現実にネットが相当な重みをもって入り込んできている。つまりネットビジネスならぬ、「ネットライフ」たるものが現実となっている。

ちなみに、「メタバース」は、人びとの人生そのものから金を巻き上げようと、生活全体をネットに乗せさせようとしている。言い換えれば、そのプラットフォームを使わないと生きて行けない世界を作ろうとしている。

私がここで言う「ネットライフ」とは、現実の生活が中心にあって、そこにネット世界がどう入り込んできているかという、まあ、今日どこでも起こっているシーンだ。

そういう《ライフのネット化》にあって、受け身でそれに押し流されてゆくのではなく、それに能動的に乗ってゆくこと、その結果に出来上がってきているのが、ネット化した現実に生きる自分のライフである。

そうしたネット化現実を生きてきた結果、現実の人生とネット上に表現された人生という二つの場に表現された《二重の人生》を持つこととなった。

昔使った「二重の人生」との言葉は、実と仮の二つの自分の姿を意味する言葉だった。つまり、現実によって分離させられた二重人格的だった。

その仮の姿をもってもがく自分をネット上に残してきて、もはやそれはe出版された「自伝」となっており、しかもそれは故人や引退者の「伝記」ではなく、リアルタイムでまだ進行中である。

かくして私は、二重のライフを現実に持つこととなり、二つの自分を生きることができている。

このネット化された自分の分身を「純正アバター」と呼ぶと、これの生きる世界は現実の世界であり、バーチャル現実ではない(ここが「メタバース」の「擬製アバター」との違い)。

この純正アバター君は、私が眠っていようと他に忙殺されていようと、いついかなる時も、誰からも、どこからもの接触に対応してくれている。これはもはや、無限数の従業員をもつ経営者(あるいは、無数の兵員をもつ軍司令官)にも等しい。

これはもう、おそろしく満足していい自己達成ではないか。

エイプリルフールの話ではない。

 

3QsP Day 254(2022年4月2日〈土〉)

昨日のはじりで、右足先の指付根の痛みが、往路から出始めた。だんだん親指側に移動してきている。痛みを避けるため、足の内側、つまり親指側に体重をかけてはじっているからだろう。治療に痛む箇所にお灸をしてみる。ツーンと刺激が縦に走る。

 

《物意(気)融合論》の提唱

若い頃、「二重の人生」と言えば、生活のために〈仮の自分〉を生きる人生と、それから解放されたつかの間の〈真の自分〉を生きる人生という二重性だった。

年金生活者となって以来、その〈仮の自分〉からの解放はほぼ24時間となり、そこで言う「二重の人生」とは、存在圏を大きく広げた〈真の自分〉が持つ内なる二重性で、①無拘束の自分と、②人工の自分の二つである。

①は、言わば創造の検出装置で、その性能は最大限に維持したい。言い換えれば、存在の発生源として――意識と外界――の接点である。

②は、例えば「アバター」の自分を作り、それを現実に泳がしてみる。

ところで、僕の言う「人生という実験」においてのサンプルとしての自分はどれなのだろう。それは、身体つまり物体現象としては真実で、それを通して真理を感知する。

この身体とは、意識にオペレートされる機械と見るなら②の一種だろうが、その身体がインフラとして、意識の土台となっている、つまり、物体現象にとどまらないと見るなら①の一種となる。この人間を「物質と意識の混合体」と見る立場を《物意融合論》と呼ぶ(この「意識」を東洋的な「気」として捉えれば《物気融合論》と称せる)。

この概念の創出をテコとして、科学的な考え方の方法に、新たな道を提示できる。

すなわち、例えば「粒子か波動か」の議論を、そういう二元論として捉えるのではなく、《物意融合論》をもって、「存在」とはそういう《物意融合》的なものなのであるという考え方。そして、二元論をもってする、粒子方程式と波動方程式からなるアナゴリズムに従うのではなく、《物意融合》的、あるいは《物気融合》的な現象を、そのまま体験例として捉え、その累積をもって類型パターン化してゆく。

こうした方法を《事例累積類型化法》と呼ぼう。

とすると、私の人生実験の方法も、東洋医学の方法も、この《事例累積類型化法》に則ったものと言える。そしてその累積されたものからどうパターンを導きだしてゆくのか。

その類型パターン化という意味では、メガデータ方式やAI技術の進歩は、まさにそれに向いた環境が整ってきている状況ではないのか。

 

3QsP Day 258(2022年4月6日〈水〉)

3月中のエクササイズのタイムを集計してみた。

水泳は、昨年に比べて距離もタイムも良くなっている。しかし、はじりは、距離もタイムも結構落ちている。水泳も楽ではないが、はじりの低下はけっこう頑張ってみてものこの結果である。これが限界なのか、様子をみてみよう。

 

 


 

この1ヶ月間のエクササイズ・ログ

 

3月07日(月) 泳ぎ 1100m 28分19秒  75.5kg

3月08日(火) 室内筋トレ  

3月09日(水) 歩き 6km 59分27秒 75.8kg

3月10日(木) 泳ぎ 1500m 39分23秒 76.6kg

3月11日(金) はじり  1時間06分48秒 8km 75.9kg

3月12日(土) 泳ぎ 500m 14分08秒  76.7kg

3月13日(日) Shopping

3月14日(月) Dr Patel

3月15日(火) はじり  1時間24分48秒 10km 75.2kg  

3月16日(水) 泳ぎ 1000m 26分00秒  76.4kg

3月17日(木) はじり  1時間8分31秒 8km 75.2kg  

3月18日(金) 泳ぎ 1000m 25分58秒 76.2kg

3月19日(土) 室内筋トレ  

3月20日(日) はじり  1時間7分20秒 8km 75.5kg  

3月21日(月) 泳ぎ 1100m 28分46秒  76.2kg

       

3月22日(火) はじり  1時間6分52秒 8km 75.2kg  

3月23日(水) なし

3月24日(木) 泳ぎ 1000m 25分57秒  

3月25日(金) はじり  1時間6分44秒 8km 74.8kg  

3月26日(土) 泳ぎ 1000m 25分37秒  

3月27日(日) なし

3月28日(月) 歯医者

          はじり  1時間7分21秒 8km 75.6kg  

3月29日(火) 3rd jab      泳ぎ 600m 15分55秒  

3月30日(水) 整体師

3月31日(木) 泳ぎ 1500m 39分04秒 77.0kg

4月01日(金) はじり  1時間6分352秒 8km 76.4kg

4月02日(土) Shopping

4月03日(日) Cycling 27km   76.4kg

4月04日(月) 泳ぎ 1000m 26分45秒 

4月05日(火) 泳ぎ 1000m 25分56秒 77.6kg  

4月06日(水) なし

 

 

 

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