禅問答のようなタイトルとなりましたが、この「イントロ」が述べていることは、各テーマについても実に両義的で、読み進めていても、一体、肯定なのか否定なのかどっちなんだ、といった困惑にさえ捕らわれます。たとえば「唯我論」に関しても、それをすべきかそうでないのか、といった具合です。 詳細記事

今号より、本エソテリック・シリーズの続巻、『現代の「東西融合〈涅槃〉思想」』の訳読が始まります。ただ、この続巻の一部はすでに、2015年11月7日号の「ライフオロジー(その2)」までに訳読しています。今号より、その大半の残りを、巻頭から順に取り組んでゆきます。そしてこの続巻の「もくじ」は別掲の通りです。 詳細記事

今回の訳読をもって、原著者ブラッド・オルセンが「エソテリック・シリーズ」と呼ぶ二著書のうち、その第一巻『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』(Future Esoteric)が完結します。

「エソテリック」とは、まさに語義通りに「難解」な概念ですが、そもそも、このうとんじれられきた概念に焦点を当てることが本シリーズの真意で、むろんそれは言葉の問題であるより、視野のすえ方の問題であり、現実世界への実に根本的な問いかけのこころみです。むろん、それが、本シリーズが書かれなければならなかった理由です。 詳細記事

この訳読もいよいよクライマックスに差し掛かり、残すところ、本章と最終章のみとなりました。そして、この「究極の生き方=愛」と題した本章は、それを読み終えた時、何とも心を癒される気持ちにさせられるものとなっています。今日の、何かと心をささくれさせられるような諸現実の横行する毎日にあって、私たちが立ち返るべき原点を再確認させられる議論が述べられています。 詳細記事

本章の結論が述べていることの核心をあげれば、この隷属した世の中を変えるためのキーポイントは、私たちが自分の内なる声を聞きそれに従おう、ということに尽きます。

この本が、DNAや古代史から宇宙にいたるまで、さまざまの分野を述べてきながら、その最後に到達した奥所は、とどのつまり、私たち自身であるということです。言い換えれば、現代の権力の支配とは、それくらいに個人の内部にまで侵入してきており、個人をその内部から“つんぼ盲目”状態にさせていることです。従って、その侵入を断ち切るところから、出発が始まるということです。 詳細記事

トランプ大統領のいよいよの就任に、世界は、同氏をこっぴどく攻撃したり手放しに賞賛したりして、両極端の様相を見せています。しかし、同新大統領の特異性自体をそう“大ブレ議論”しても、それは何ら核心を語ったことにはならないでしょう。 詳細記事

本章には、そのタイトル「超人間力」のごとく、現実界では架空事と扱われるだろう数々のいわゆる「超能力」があげられています。それはテレパシーから、それこそ霞を食う仙人に至るまで、常識上では考慮の対象には含まれない能力であり世界です。

しかし、本章の議論のように、そうした広範な諸能力がそう一覧されていると、それらは総体として、単なる絵空事として片付けられるものではない、それなりの現実味を持った世界となってよみがえってきます。 詳細記事

今は、それを「希望への展望」と呼ぶには余りにも先が見えない時代ですが、この「透明性の次元」と題された章が論じていることは、その「希望」をにらんだ、現状の分析と来るべきものへの「展望」です。

本章の議論は二つに大別され、その一つは、現状、ことに情報の隠蔽がどのように徹底されているかを一望し、第二に、来るべき、次元を異にした世界とはなにかを予想しています。 詳細記事

いよいよこの訳読も大詰めに入ってきており、今回では、その結論部の最初の章、「ユートピア」の議論を読んでゆくこととなります。

そういう流れで、本書の集大成部に踏み入って行くのですが、ただ、そういう性格がゆえに、それが逆に含んでしまう、つまり、かなり理念的議論に終始するという特性がゆえに、この章のみを読んだ場合、ある種の退屈な「観念論」との印象を持ってしまいかねない弱点があります。

そうした場合、その前にまず読者に心してほしいことは、読者は本書の一連の訳読を、《フリー》つまり「ただ」で――しかもオンラインで――読むことができている、ということです。 詳細記事

今回訳読する章『地球外の惑星』では、私には大いに注目させられる議論が展開されています。それは、「地球痴呆化機構」というタイトルの節にあり、その要点は、一部のETたちが、地球を回る衛星に仕組まれた装置や、月や火星に密かに存在する彼らの基地の施設を使って、地球人の脳の「痴呆化」を図っているとの仮説です。 詳細記事