『苦海浄土』と『Modern Esoteric』の共通性

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その73)

今年2月、水俣病を「わが水俣病」として書いた『苦海浄土』の著者、石牟礼道子さんが亡くなられた。水銀中毒におかされた郷土や海を、「生類(しょうるい)のみやこはいずくなりや」と歌い、破壊された「いのちの連鎖」つまり「生類のみやこ」の尊さを私たちに問うた。

「非-健康産業(その2)」の今回、そうした水銀中毒ばかりでなく、アルミニウムや他の重金属、そしてあまたの化学物質の有毒性の危険が述べられています。そして、どうしてそうした毒が薬として販売されることがまかり通っているのか、そのからくりについても。 詳細記事

病で死ぬか、医で死ぬか

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その72)

4年前、私が前立腺癌を宣告され、そこで体験した医療への不信感を一各論とすれば、本章では、その総論が展開されています。つまり、「医は仁なり」ではなく、まさに「医は金なり」と化した医療界状況が克明に述べられています。

そう言ってしまえば、あまりに“ありふれた”というべき話ではあるのですが、私たちの現実の生活においては、病気という弱みを握られているだけに、そうは判っていても、なかなか、医師には逆らえません。それに相手は、資金力も人的資源も豊富に持っていて、それこそ鳴り物入りで、私たちの頭を「洗脳」し、そのトラップに誘導しようとしています。 詳細記事

瓜二つ議論、あれこれ

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その71)

今回の訳読の冒頭に、またしても「イルミナチ」のタイトルが掲げられています。正直いって私には、この「イルミナチ」については、何度読んでも、すとんと飲み込めないものがあります。本書の著者、ブラッド・オルセンによれば、まさに、その飲み込み難さがイルミナチの正体として、本書でも、前書でも、繰り返しそれをとりあげています。そして一つの見方として、それは地球に住み着いた“宇宙の悪魔”でもあるかのように。

今回の「イルミナチのシンボル」を読むにあたっても、今年初めの、「秘密の家族」の章の冒頭部分に目を通してからにしてみるのも、理解の早道かも知れません。 詳細記事

「考え過ぎ」か「深慮」か、その往復運動

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その70)

シンボルあるいは象徴を、この章に論じられているほどに受け止めることは、正直なところ「考え過ぎ」とか「こじ付け」ではないか、と思わせるところがあります。しかし、例えば英語には「numerology」(数秘学)といった用語があるように、数字占いの意味付けとなる数字の謎をさぐる研究分野があります。言ってみれば、数学だって、そうした関心を出発点としてきた経緯があるのでしょう。だが現在では、それは科学扱いはされてはいません。本書を含む二部作のテーマである「エソテリック」も、科学界からは、せいぜい「疑似科学」としか扱われていない分野です。

しかし、もし科学を、科学となしえるために不確かな部分を切り落とした骨格のみだと見なすなら、その血や肉についての考察は、すくなくとも可能性として、科学の未開拓分野を含む、将来的なエリアと言えなくもないでしょう。

個人的関心ですが、そうした「考え過ぎ」と「深慮」間を往復させられる運動が、本書を訳読している面白味です。 詳細記事

「幾何学」は復古学か新地平か

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その69)

この章でいう「幾何学」とは、はたして、近代科学以前のそれなのか、それとも、今日の科学はそれをまだ知っていないのか。むろん著者の論点は後者で、その未解明の大自然そして大宇宙に「意図」が秘められているとの視点が、タイトルに「聖なる」が付されている理由です。つまり、この「聖なる」とは「神・聖なる」ではなく、それから「神」をとったもので、そこに「神」を付けてしまうことで、本来の追及の力を失ってしまうという考え方です。 詳細記事

「おごり」以前の世界へ

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その68)

人間のおごりが指摘されて久しいどころか、そのおごり振りは遂に、自滅的、地球破壊的レベルにすら達している感があります。そしてそれによる災厄を、自然の復讐とか断罪と見る向きもありますが、それも、慣れ親しんだおごりの反転した“逆おごり”意識にすぎないでしょう。

エソテリック論の今回の議論は、「幾何学」という、一見、なんとも懐かしく教科書的な観点によるものです。ことに私など、いわゆる工科系の学生生活を送ってきた者にとっては、この数学的で図形的なアプローチは、どこか古巣に帰ったような感覚を伴います。しかし、さすがにエソテリックな視野はそんなレベルにはとどまらず、むしろ、西洋が西洋たる過ちを重ねてきたその長い過程を振り返っています。今回の「黄金比」の節の終わりで示されているプラトンの言葉、「幾何学は天地創造の前から存在した」は、「神」の名のもとに悪事を繰り返してきた人間のおごりを指摘するようにも聞こえます。 詳細記事

誤解される「宗教」

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その67)

私たちはどうやら、宗教というものを誤解してきたようです。あるいは、とんでもない代物を宗教と思い込まされてきたようです。それに気付くためには、現存するあらゆる「宗教」と称されている事々を完璧に忘れ去る必要があります。そして、既存の「宗教」と呼ばれる事々の引力圏から脱出し、いったん自らを無重力の世界に置いた上で、新たな発想と感性のもとに、別物の《宗教》を考え、創造する必要があります。 詳細記事

「宗教心=帰属意識」か

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その66)

日本人を、宗教心にあつい人々で無神論者などほとんどいないと言えば、誰もがそれはむしろ逆だと言うに違いありません。ところが、世界中で日本人ほど社会集団への帰属意識の強い人たちはそうはいないと言えば、誰もが賛成するでしょう。しかし、ここでいう「宗教心」と「帰属意識」を同じものだとすれば、上記の表現は意味を持ち始めます。つまり、「宗教」とか「無神論」といった言葉を、少なくとも日本人に関して当てはめれば、それらはどこか違った意味で使われている言葉だと気付かざるをえません。 詳細記事

再度、「米国連銀」のトリックについて

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その65)

前回でも書いたように、米国の連邦準備銀行制度は、アメリカの国家機関のひとつではありません。それどころか、アメリカという国家を操るまぎらわしい私的装置でもあります。このからくりを知ることは、ケネディー大統領がなぜ暗殺され、また、今日のアメリカがどうしてそこまで混乱しているのか、その理由をつかむ第一歩となります。 詳細記事

「イルミナチ」=資本主義のDNA

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その64)

本章「秘密家族」を読んで深く気付かされることは、いわゆる「陰謀論」賛同者に広く知られた用語である「イルミナチ」を、ある歴史的に継続されている実体ある組織であるかのように考えて追跡すると、その努力はほぼ無に帰されることです(あるいは、「ナイーブな陰謀信奉者」とのレッテルを張られるのが落ちです)。それは確かにつかみどころのなくカモフラージュされた何かではあるのですが、例えば、何らかの法律の処罰対象としてやり玉にできるような、そうした実体とは考えないほうが賢明なようです。いわば、そうした既存システムによる捕捉が効かないからこそ、その存在の意味があるのです。そういう、《資本主義の本髄》あるいは《資本主義のDNA》こそが「イルミナチ」であって、それをしっかりと体現させている人物や団体があれば、それは立派に、「イルミナチ」と名乗っても良いということです。それこそ、「陰謀論」になぞらえて言えば、資本主義の真髄とは、陰謀の域あるいはDNAの深みに達しないで、どこが資本主義か、ということです。 詳細記事