市場原理のヒューマン組織

熱力業風景(その17)

ここオーストラリアでの私の職業生活の主柱をなしてきた労使関係分野での働きが、オーストラリア滞在30年余の集大成をなすかのように、ある大詰めを迎えつつあります。

私はこの8月で満70歳になり、年齢上はすでにその“主戦線”から離脱した格好とはなっています。しかし、「ライフワーク」といった職業生活上の一連の関心の面では、いよいよ舞台はクライマックスにさしかかっているかのようで、深い感慨を抱きつつその到達を迎えているところです。

その感慨とは、ここオーストラリアに限らず、どの先進国もが体験してきた産業構造上の変化にともなう、≪人間の問題≫にかかわります。より焦点をしぼれば、労使関係という人を雇う側と雇われる側の関係の、ひと時代の終幕を目撃しているかの思いです。

三十余年前、私は、いわゆる日本的労使関係とよばれる日本独特の世界にもの足らず、世界のそれを学んでみたいと、もはや中年ながら、このオーストラリアへの一留学生となりました。そして日本とは対極的なそのシステムを学び終えた後、こちらの友人たちとその分野のコンサルタント業を開設し、実務の世界に関わり始めました。

以来二十数年、産業世界は文字通りグローバル化し、オーストラリアと日本の関係も密接な深化をとげ、その労使関係も、国際的な文脈を抜きには語れないものへと発展してきています。

そういう環境で、私が個人的に体得してきた労使関係の国際的視野は、時代に即した有効性をもつものともなってきたとの自負があります。

それに加え、同僚であるオージーの仕事仲間とが作るこれも国際的な環境は、片務的に陥る過ちを回避できるばかりでなく、グローバル時代にそった今日的システムの萌芽へと私たちを誘ってきました。

この一連の労使関係の変化を端的にいえば、法的規制を枠組みにした規範内容への関与から、規制緩和による実質条件内容の直接的関与への変化です。そしてその担い手は、法規制を左右する“ポリティカル”権威者から、現場の実情にたけた実務エキスパートへと移ってきています。

言い換えれば、問題の勝負は、いずれが適格かつ迅速に、現実社会の必要にそくした実効システムを築き上げれるかにかかっています。

こうして労使関係の活動の場は、規制が関与する「高地」から、私たちの日常生活の「平場」へと降りてきた感があり、そのような流れの中で、その活動の≪ビジネス化≫が進展しています。

むろん、こうした≪ビジネス化≫により労働はいっそう商品と化し、その弊害ともいうべき、人間の商品化による社会の荒廃が広がっているのは言うまでもありません。

 

こうした変化を実体験しつつ、私がそれをクライマックスと呼ぶものは、私たちが営む≪ビジネス≫が媒体となって形をなしてきた、経験豊富で誠実な現場エキスパートのネットワーク、すなわち、社会の真に豊かな発展をめざす先見的指導者たちの協働関係の実体化です。

ここオーストラリアでは、労働組合組織の縮小と自由化された労働者派遣業の拡大で、元労働組合の幹部が自らCEOとなって、労働者派遣ビジネスを営んでいるケースもまれではありません。

つまり、もともと労働組合と人貸し業とは、看板ひとつの違いで、その中身はほとんど実質の差はないのです。そしてその分かれ目は、その活動がどこを向いておこなわれているかです。

 

そこでですが、世界では、Apple のように、製造工程はOEM(相手先商標製品生産企業)に任せ、自分では工場を持たぬファブレス製造業が存在しえるように、労働市場の分野でも、派遣ビジネスの成長により、自社の労使関係部門を外注に任せる企業も増加しています。

つまり、労働市場の自由化が支持されている限り、雇用や労務・人事管理を専門とする企業――いわば「人材OEM」――の発生と拡大は必至です。

他方、高労働条件と高生産性の両成果を達成しうるこの分野の専門サービスが出現して機能すればするほど、いずれの企業も、人という厄介な分野の扱いから解放され(あるいは、より高度で創造的な関係抽出に専念し)、本来のビジネス・コンセプトの追求に緻密に集中しえます。

当社はいま、まだまだ適用分野は限られますが、そうしたネットワークを形成途上にあります。

いうなればそれは、市場原理のヒューマン組織、といったものでしょうか。

 

【本稿には英訳版があります】

 

 

 

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