Day 170+418(10月27日)
《自分でも不思議》とでも言ってよいのでしょうか、そんなことを今回のヒマラヤ・トレッキングで体験してきました。それは、先に「ポジティブ・ストレス」に書いた予期せぬ「バランス能力の回復」もその一例だったのですが、別の例をあげれば、前回の「《続》ヒマラヤ・トレッキング・フォト・レポート」に掲載した二枚目の写真にまつわる体験です。その写真は自分でシャッターボタンを押したショットのはずなのですが、撮れていた画像は、仮に偶然の産物だったとしても、出来過ぎな作品となっています。そのキャプションに「かくも些細な存在、人間」とは入れてみましたが、何というのでしょう、なにやらを暗示する含みある写真となっているのです。
ただそれが、そこまでの狙いをもって撮影されたものかというと、必ずしもそうとは言い切れないから「不思議」なのです。むしろ、シャッターボタンを押した写真撮影者――つまり私――の意志を超えたものがそこに写し込まれている、いかにもそういった映像であり、私にとっては、そうは簡単には撮れない逸品となっているのです。
その「意志を超えたもの」について言えば、まず、これ以上は望めない快晴の天候をはじめに、まだ日もさほど高くない斜光が描きだすうねる山肌、朝の澄みきった大気がもつ鋭利な透明感、出発したテントサイトから適度にへだたった距離がありながらも減衰しない奥行き感、といった諸条件がそろい、そこに、ぽつんと独り、長いシルエットを落しながら容易そうではない歩みを進めている人の姿があります。これほどまでに多彩な条件に恵まれるのは並み大抵ではありません。さらにそこでなのですが、そうした映像は、私が、友人よりかなり先に進んでいて立ち止まり、振り返った光景に何かを感じ、そこでカメラを取り上げレンズを向け、そして、このシーンを一枚切り取ったがゆえにここにこうして存在している産物です。そうした一連の私の行為なくして、この写真は決してありえません。
そこにおいてなのですが、そうした行為者であったはずの私は、しかしながら、こうした諸条件が提供されるだろうことをそれ相応に予想し、それを計算のうえで彼より先に進み、その場とその時を選んで立ち止まり、そこでこのショットを得たのかと言えば、決してそうとは断言できないのです。
「何となくであった」と言ってしまえばそれまでなのですが、ただ、その時の気分を思いおこせば、ふだんスロースターター――体のエンジンの暖まるのに時間がかかる――の私は、午前中、ことに行動し始めたばかりの頃は、彼より先に立つことはまずありません。ところがこの日はどういうわけか、妙に快調な気分に加え、足が軽くて彼よりかなり先に進め、そしてその小高い尾根の頂に達して何かを感じてふと振り返った時が、このショットの生まれた瞬間でした。しかし、そうでありながら、しかもそれがゆえにか、そうしたその瞬間とその写真行動が、自分の行為として、なんとも“自分以上”なのです。それに、そうした海抜5千メートルに近い高所では、たとえ何かを予期し、ある行動を思い立ったとしても、そうは容易にそう動けるものでもないのです。
まさか、その時の自分が何ものかの意志に支配されていたと言うのではありません。しかし、無意識というか、意識以前の直観と言うか、そうした予想外の《プラスアルファ―》要素が、その時にまさに働いていたのは確かなのです。
むろん写真とは、カメラのシャッターボタンさえ押せば、撮影者の意識なぞとは無関係に、そのレンズに入った光景をそのまま写し取ります。そこに、めくら滅法でも偶然写った傑作が生まれる可能性はあります。
しかし、そうだとしても、常時あらゆるシーンを撮りまくり続けるなぞ不可能なことですし、この写真の場合、その撮影場所にそのカメラを運んだのは誰でもない私であり、撮った写真もこのワンショットのみです。その振り返った行動や、その光景に何事かを感じるということがなければ、シャッターボタンを押す行為も生まれていなかったはずです。そうして、何らかの動機や意志や選択があってそれだけの行為を私は行っていたはずです。にも拘わらず、それが「自分以上」であり、あたかも私の意識外の何らかの“作用”があって、このシーンが切り取られたかのように感じられるのです。だからこそそれが、自分の意識にとっては、何とも「不思議なこと」なのです。
ただ、さらに記憶をたどれば、この日は、早朝、日の出前にテントを出て、はるか遠方のガンゴトリ山群の稜線の向こうから上ってくる朝日を「サン・ゲイジング〔太陽凝視〕」していました。これははっきりと、そう意識して行った私の意図的行為です。そしてそれは、私がそれまでに経験した最もドラマチックな太陽凝視でした(最初のフォト・レポートの「5日目のご来光」の写真参照)。今から想えば、それがこの日の私の体調を変化させ――エンジンを何らかの形で余熱していた――、あるいは、私の受信装置を高感度にチューンさせていたのかもしれません。(これが、別掲の訳読で強調される「宇宙や自然界の持つ《振動への共振》」ということなのでしょうか。)
前回のこの欄に、「私は、この垂直方向の移動が、なにやら、《霊性的》という言葉をあえて使いたい、きわめて特異な移動であった感じがしています。」と書きました。つまり、上記のような語りは、この一枚の写真の撮影にまつわるいきさつをそうご披露させていただいて、その「感じ」とは何か、その事例を挙げさせていただいたということでもあります。
今回のトレッキングのフォト・レポートに使った以外の写真にも、同様な感覚がともなうものがあります。そうした《プラスアルファ―》な働きをもって、私はそれを《霊性的》と感じ、少なくとも、ある《越界》的体験として受けとめているところです。
ところで、写真とは、そうした《プラスアルファ―》な要素――もしそれが働いていたなら――を“自動”記録しうる稀有な方法なのかと、いまさらながらに気付かされている次第でもあります。
(さらにひるがえって、もし、《越界先》の意志というものがあるとするなら、こうした《プラスアルファ―》な働きを通じて、それを伝えてくるということも、ありえることなのかも知れません。そしてそして、やがて私が越界した後には、この方法は役に立つかなと、ひそかに期待したりもしています。)
Day 170+420(10月29日)
ヒマラヤから帰って以来、その疲れやジェトラグ〔時差ボケ〕のためか、エクササイズがそこそこにしか出来ないできていました。それが今週は、ちょっと復調の気配があります。日曜から水曜までの店出勤以外の4日を、フルに使うことができました。それでも、4日目の昨日は、最初「はじり」始めたものの、1キロほど行ったところで歩きに切り替えました。ともあれ、復調はたしかなように思われます。
ところで今、シドニーではジャカランダが満開で、昨日も、そうした「紫桜」の花見を楽しみつつ、歩いてきました(写真)。
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Day 170+428(11月6日)
ヒマラヤからは、いろいろなお土産をもって帰ってきたことは、すでにいろいろ述べている通りです。それに加えてもうひとつ。
それは、自転車通勤中の話ですが、店が終わって帰りの途上、駅に着く前に「心臓破りの急坂」があります。
それが、このヒマラヤ以前は、自転車の9段のギヤーのうちの一番遅いギヤーでなければ登り切れませんでした。その急坂を、ヒマラヤ以後のいま、二番目のギヤーで登れているのです。確かに力はいるのですが、その方が、総体的な運動強度が低いような感じなのです。
つまり、明らかに足の筋力が増しているのです。そして、二番目のギヤーですから少しスピードも速く、ペダルを回転させる運動回数も減って、何やら、ある意味の効率の良さがあるのです。
(この一番遅いギヤーは、各踏み込みの際の足への負担は一番軽いのですが、それだけ回転数が増え、速度も落ちて時間も要し、総合的な運動量がそれだけ増すような気が以前からしていました。)
そのうち、この筋力もまた衰えてしまうかもしれませんが、毎回その登りをするたびに、その程度の確認ができそうです。
この1ヶ月間のエクササイズ・ログ
10月11日(日) 自・電車通勤 自転車走行 5km
10月12日(月) なし
10月13日(火) はじり 10km 1時間12分40秒 76.2kg
10月14日(水) 水泳 1000m 26分30秒
10月15日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
10月16日(金) 同 自転車走行 8km
10月17日(土) 同 自転車走行 5km
10日18日(日) なし
10月19日(月) はじり 7.5km 58分47秒 75.6kg
10月20日(火) サイクリング 26km
10月21日(水) 水泳 1000m 26分07秒 76.2kg
10月22日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
10月23日(金) 同 自転車走行 11km
10月24日(土) 同 自転車走行 9km
10月25日(日) はじり 12.5km 1 時間32分04秒 74.4kg
10月26日(月) 水泳 1200m 30分30秒 75.6kg
10月27日(火) 水泳 1000m 24分25秒 75.2kg
10月28日(水) 歩き 45分 75.6kg
10月29日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
10月30日(金) 同 自転車走行 11km
10月31日(土) 同 自転車走行 1km
11月01日(日) サイクリング 30km
11月02日(月) 歩き 25km 75.6kg
11月03日(火) 水泳 1500m 38分07秒 76.4kg
11月04日(水) 雨天のため、なし
11月05日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
11月06日(金) 同 自転車走行 8km