「人生三周目」に向けてのグランド構想を考えるにあたって、私はいま、ひとつの仮説を立てようとしています。そしてそれを仮説とするのは、まさかそんなものが存在しているとは一概には考えられず、かなり慎重に取り扱わねばならないものだと思えるからです。そしてその仮説とするものは、副題のように、〈運動機能という「人格」のインフラ〉という見立てです。

こうした地理的インフラのように、、、(写真は「しまなみ海道」の本四間連絡橋) .
そこでこの〈運動機能という「人格」のインフラ〉とはどういうことなのかですが、それには実は、しだいにそれに確信を深めてきている一連の体験があります。
それはたとえば、この『両生歩き』のサイトの「私共和国」に、毎回のように、しかも長期にわたってつづられてきている、運動をした後の「爽快感」という表現が挙げられます。そしてそれにとどまらず、運動をした後――その多くは、運動による心地よい疲労にさそわれて経験する食事のおいしさや快適な眠り(例えば記事〈自分式「創造性への秘密ルート」〉参照)と共に――にやってくる、自分でも驚かされるような、新しい着想やアイデアの発見体験、いうなれば、一連の「ひらめき」の体験です。
そうした体験は、数えればきりのないものであって、ここには挙げきれません。そうではありますが、むしろサイト全体がそれであるとさえ断言できるものです。そして、そうした無数の「ひらめき」に支えられて、その制作にたずさわってきた、この私の今という存在があります。
つまり、私という身体的かつ精神的働きの総体――それをここでは「人格」と称します――を成立させている根源としての「運動」です。おそらく、「運動」という働きを、ここまで本源的にとらえている考えはとてもまれだと思います。
あるいは、古代ローマ時代より、「健全な精神は健全な身体に宿る」との言い伝えがありますが、それの現代版というべき、いっそう動的バージョンなのかも知れません。
じつは私にとって、ここにものものしく「仮説」としているものは、ある意味では、もうとっくに自分の日常に取り込まれているもので、さほど特別なものとは思ってきていなかったものです。ただそれが、あることをきっかけに、どうもそういうことではなさそうだと思うに至りました。
そこでその「あること」ですが、つい先日、いつものように運動をおわらせて、そのデータをスポーツ時計からPCに同期し、それが最近になくいい結果だったことを確かめた時でした。その際、ちょっとした遊び心が起こって、AIにその記録結果の評価を「どう思うか」と問うてみたのした。
それが以下に要約するそのAIの返答なのですが、なかなかびっくりさせられるものなのです。そしてそれを読んだ最初、「おいおい本当かよ」と、AI特有の「おべんちゃら」とも受け止めていました。
ところがです、その後その内容を、念のためにといろいろ調べてみると、それなりの科学的客観性をもつものであることが解ってきました。つまり、それはそれほどの信ぴょう性を持つもので、そしてもしそうだとするならば、それを一般化して、〈運動機能という「人格」のインフラ〉という仮説として、取り上げてみてはどうかという考えに至りました。
さてそこでそのAIの返答ですが、それはそのほとんど十秒にも満たない迅速さをはじめ、その質においても、おそらく該当分野の一流の編集者によるものと言えそうな、一種の権威をも思わせるものです。つまり、今日の言論界における相当な水準に触れる効用をもっているものと言えましょう。
ともあれ、人間離れしたその少々込み入った評価をまとめると、以下のようになります。
まず、その日の悪くない運動(ランニング)結果を含む過去一年間の記録は、その蓄積された同期データより、以下のようにグラフにできます。

そしてこの年間レポートをAIに問うてみた結果が、以下に要約する返答です。
なお、ここで言う「ランニングインデックス(RI)」とは、こう説明されるものです。
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このインデックスは、最大有酸素運動能力(VO2max)を推定する指標で、ランニング中に測定された心拍数と速度データに基づいて算出され、ランニングのパフォーマンスを評価します。高いランニングインデックスは、より効率的に速く走れていることを示し、トレーニングの進捗をモニタリングするのに役立ちます。 |
過去一年のランニングインデックス(RI)から読み取れること
一年を通して “高い水準で安定” している
12月〜2月の RI は 47〜56 の範囲で推移し、極端な落ち込みがありません。特に 1 月以降は 50 前後を安定して維持。これは心肺機能・ランニングエコノミー・回復力が、年齢に対して非常に高いレベルで安定していることを示します。
79 歳でこの安定感は、一般的な加齢曲線から大きく外れています。
一年の総括として言えること
① 加齢曲線を“逆走”している
一般的には 70 代後半は VO₂max が急激に落ちる時期ですが、Hajime さんの RI は 維持どころか改善傾向。
これは長年の有酸素トレーニングの蓄積が、今になって統合され、効率の良い走りとして結実している状態です。
② 心肺・筋力・フォームが三位一体で成熟している
RI は単なる心拍の指標ではなく、
- ランニングエコノミー
- ペース配分
- 筋持久力
- 回復力
- 心拍の立ち上がりの速さ
など総合的な能力を反映します。
その RI が一年を通して高水準で安定しているということは、身体全体のバランスが非常に良いということ。
結 論
過去一年のランニングインデックスは、79 歳の身体が驚くほど高いレベルで適応し続け、むしろ進化していることを示している。これは単なる健康維持ではなく、長年のトレーニングが統合され、走力が成熟し続けている証拠です。
以上のように必要最低限にまとめられるのがAIによる返答なのですが、その全文を引用すれば、この記事自身にもおよぶ分量になるものです。
ともあれ、そうした詳細なヒントを得ることで、私は自分がそこまでのものであるとは気付かずに続けてきていた日々の運動が、このように述べられる、科学的で客観的な意味をもっていたということを、あらためて教えられることとなったのでした。
さてそこでなのですが、こうしたAIの評価の限りでは、それは「走力」を指標として、年齢の割に高い運動能力を持っていると言っている以上のことではありません。
ところがです、このように評価される自分の運動能力の一方、その他方では、上記のようにそれを〈自分式「創造性への秘密ルート」〉と認識しうるような事柄が、長きにわたり、それこそ日常的にあったのです。
これはつまり、片方の、過去の自分の自覚として築き上げてきた自分の自分たるもの――これを上記のように「人格」と称しています――と、他方の、「運動能力の高さ」というものとが、おそらく一対不離のものとして相互に結びついていることを暗示しています。
さらに付記しておきますと、今回こうした記事を完成させることとなった一方、別記事では、そうした運動との長い関係を「運動観」という視点でも述べています。
こうして浮上してきたのが、私の身体能力とはどうやら自分の〈「人格」のインフラ〉であると見る考えですが、それは、確かに自分の私的体験上では大いに納得できるものの、それを一般的に述べるには、まだ「仮説」とする段階であるとすべきものです。
そういう次第で、一般論としてはまだ仮説の域を越えるものではないながら、私にとっての個人的効用はまぎれもないもので、この頃ではそれを自分の《財産》とさえ受け止めています。
いうなれば、取るに足らぬ経済上の財産に代わる別な姿のそれと見れる、私特有の人生上の産物であると言えそうなことなのです。
言い換えれば、この財産とは、私がこの先の「人生三周目」に臨んでゆくにあたって、独特に役に立ってくれるであろう、私特有の「インフラ」として期待されるものです。