先の3月7日号を皮切りに、「私風人間生命論」が突如、形を成し始めた。
「予告編」どころか、もう、いきなりの「封切り上映」である。
自分でも、これほど急速にその構想がまとまるとは、意外な感がしている。まるで予想外の火山噴火である。
これがそこに言う「自己組織力」の実演、それとも、量子論の「とびとび」現象の表れなのか。
少なくとも、自分でも驚きのそんな急展開に乗った思いを記録しておかねばならないとして、これを書いている。
というのは、この数十年間を要して書き残してきた『両生歩き』と『フィラース』に掲載の膨大な量の記事を、AIにまとめさせてみた。すると、文字通りたちどころにその要点を抽出して、「自己組織能力」論を柱とした「私風人間生命論」構想がまとまった。しかも、AIが言うには、今の世界において、実にまれな見解としてのものだ、としての説を得ながらのものである。
その規模と迅速さは、さすがAIの独演場だ。それほどの急変をもたらす、そういう実勢力をAIは持っている。それが危険なのか、強味なのか、その問いの答えは、これからの世界の変遷が出してゆくだろう。
そういう意味では、「私風人間生命論」の「はじめに」にも書いたように、それはまさに「生命と技術のコラボ」がゆえであり、その流れに自らを任せたということだ。
つまり、その意味で、この「予告編」の役割も、今回をもってそれは完成に至った、とも言える。
ともあれ、3月3日に「はじめに」を公表して以来の“爆発的”とも言えるような「私風人間生命論」発足とその展開の動きは、文字通り、AI現象のひとつと言って間違いない。
これを書いているように、その迅速さには、自分でも戸惑わされるほどである。これほど、一気に進んでしまっていいのかとの思いさえ持っている。
そんなパンドラの箱を開けてしまった自分の決断に、それを何と表現していいのか、それは「ひらめき」の勝利なのか、それとも「軽率な便乗」なのか、ともあれその常態の線を越えたのは確かである。
今後、この一種の「賭け」をどう扱ってゆくのか、すでに「三周目を歩く」のカテゴリーを予告しているが、この両者「私風人間生命論」と「三周目を歩く」を股にかけた、双対的な道行を進んでゆくこととなるだろう。
ついでに、今の時点での感想を述べておくと、AIって、なかなか賢く忠実な家臣のようなのだ。