脳が壊れた体験の共有

自己健康エコロジー=切迫編=その5

Day 1,280+62(11月26日〈日〉)

ほこりを払って、要所にオイルをさしてメンテを完了した後、二カ月ぶりに自転車に乗りました。もう、大丈夫との自信はあったのですが、まだ医師からのOKはないままの無許可運転です。運動不足で体重が増し、何らかのエクササイズはまったなしです。さもないと、衣服のサイズがキュンキュンになってきて、全部、買い替えなければならなくなってしまいます。

そこで、以前なら「はじり」で往復していたコースを、20キロほど、乗ってみました。

違和感も不安もまったくなく、天気も良くて快適なサイクリングでした。

今度のSDH体験は、自転車が悪いのではなく、酔っぱらって乗った本人せいであり、そういう意味では、車と同じで「飲んだら乗るな」なのです。自転車を責めてはいけません。

久々の自転車の事後感は、やっぱり、足の筋肉の力がそうとう弱っている感じでした。

 

Day 1,280+63(11月27日〈月〉)

6キロを駆け足混じりで歩いた。駆け足部は全体の4割ほどだろうか。タイムは58分37秒。2週間前は、まだ頭への不安があったが、今日のはまったく普通だったし、息の切れる感じがより減っていた。まあ、タイムからすれば数年前、以前は歩きは時速6キロだったのと変わらないが。

 

Day 1,280+68(12月2日〈土〉)

日本の友人からも薦められ、また、そうした著作があることは前からも知っていた本、ジル・ボルト・テイラー著の『奇跡の脳』(新潮文庫)を読み終えました。その(邦訳)副題にあるように、この本は脳科学者の脳が壊れた体験の記録です。僕自身の体験(その壊れ具合は、僕の方がはるかに軽度だったのですが)と大いに重なり合うところがあって、しかもそれが、米国医学界のその分野切っての専門家中の専門家の見解であるだけに、実に意義深くかつ学的信頼性をもって読めました。

そこでですが、どうやら、一度でも自分の脳が壊れる体験をした人は、その世界観が変わってしまうようです。それほどに、その体験は劇的です。この著者も(つまり私と同じように)、まず、脳の回復力のすごさに感嘆し、そのこれまでの自分が消滅したも同然な体験の中で、むしろ自分が「宇宙と融合してひとつになった」と感じるようになったと述べています。そしてその専門の脳の解剖学的な知見に基づいて、それを右脳のもつ特徴的な働きと結びつけ、左脳の論理的で分析的な働きに対し、直観的な認識をつかさどる「非-地球現世的」――この言葉は私のものですが――な働きの効果と言います。つまり、それは推測ではなく、明快な医学的知見としてのものです。

ちなみに、最たる西洋人のアメリカ人の著者が、最後にこんなことを述べています。その日本語訳の箇所を引用すると、

〔深い心の安らぎを得るのに悪戦苦闘する理由は〕・・・西洋の社会は左脳の「する」(doing)機能を右脳の(being)機能よりずっと高く評価し、報酬を与えるものだから。(p.261)

として、西洋文明の欠陥の指摘までに言及しています。そして、ニルバーナ(涅槃)という仏教用語を使って、その行き着いた心境が何であるかを表現しています。

「MOTEJIレポート」で書いてきているように、僕もこの体験(その表現スタイルはSF的ですが)をめぐって、宇宙的、直観的なものとして受け止めてきました。こうした両者の見方の一致には、むろん、むろん単なる偶然では片付けられない、人間についての共通した真実性が潜んでいると自認しているところです。

一方、折角のこのまれに見る良書を台無しにしかねない、ひとつの難点があります。それは、その日本語訳上のあるスタイルです。この著者は女性なのですが、そのためか、訳された日本語文は、みごとかつ意図的に女性言葉で統一されており、深い医学的、科学的な“非性別”な見地の展開にも拘わらず、ひどく奇異でそうした著作に似つかわしくない印象をもたされてしまう訳文になっています。

周知のように、英語にはそもそも男言葉も女言葉もなく、ましてそのような分野の表現に、性別の使い分けの必要もありません。念のため英語の原本にも目を通してみましたが、その表現には、自分の個性への言及はあれ、性の違いを意識した箇所は見られません。訳者や出版社による判りやすい訳文との工夫はあったようです。しかし、恋愛小説ならともかく、本書は女性だからの見解などでは決してなく、厳密な医学的見地や体験の表現に、女性言葉にしなければ判りにくい話など、あるはずもありません。

日本語の男女分別された言葉の伝統は、それはそれで培われてきた文化の一部です。他方、性差別にシビアーな米国文化に育ち、しかも秀でた知性の持ち主の著した文章に、そうした日本の文化的伝統を持ち込まなければならない理由は何なのでしょう。

私の見るところ、そうした文化的混同をあらわにしたその邦訳書は、その原書にもその著者にも、ちょっと無神経すぎるのではないかと危惧されます。

(ただ、女性言葉だから判りやすくなったという、男中心の伝統への日本的逆説をあえて実行した“深謀”と解釈できなくもないですが。日本の女性たちはどう受け止めているのだろう。)

ともあれ、私見として、日本語は、男女の区別を越えた《ヒューマンな日本語》も開発してゆかなければ、科学の分野でも、個人の人格の尊重の分野でも、先進世界と肩を並べてゆくことを難しくする――遅れた国となってゆく――足かせになると思えます。

 

Day 1,280+70(12月4日〈月〉)

11月17日付けの記録にも書きましたが、退院以来、一種のリハビリとして脳トレゲームにいそしんでいます。ほぼ毎日、けっこう熱心に取り組んでおり、中にははまりこんでしまって止められなくなってしまっているゲームもあります。お陰で、ゲーム上のスコアーは顕著な向上をみせています。ちなみに、先に上げた70―74歳での統計的位置の変化は以下の通りです。

 

認知領域   66.0 → 80.9

スピ―ド   67.8  →  81.1

記憶力    70.6  →  76.2

注意力    81.7  →  95.5

柔軟性    35.8  →  66.5

問題解決力  68.2  →  64.3 

数学     79.2  →  78.0

 

最初はたかがゲームと軽視していたのですが、こうして日課としてやり続けていると、たしかに頭が活性化されてきた効果があるかに感じられます。そして気分も軽快となり、意欲も増してきているように思えます。

 

Day 1,280+71(12月5日〈火〉)

CTスキャン検査を受けてきた。その後、入院時のお礼とクリスマスの挨拶をしようと、入院していた病棟に行ってみたが、顔見知りのナースもドクターも見つからなかった。

検査の結果は、13日に専門医に会って聞く。運動の正式許可をはやくもらいたい。

 

Day 1,280+72(12月6日〈水〉)

運動不足の解消は必至。今日、雨上がりのコースを6キロ、決して歩きではないながら、決して以前のはじりではないスピードで、用心して、スローにはじってみた。足の筋肉にやや負担は感じるものの、まったく問題なかった。久々に大汗をかいて、事後の清々しい気分を二カ月半ぶりに味わった。タイムは58分きっかり。キロ9.7分の超スローはじり。ここから再出発。

 

 


 

           この1ヶ月間のエクササイズ・ログ

 

11月10日(金) 電車通勤    

11月11日(土) 電車通勤

11月12日(日) なし

11月13日(月) 午前、ランチとミーティング

11月14日(火) ミーティング、駆け足混じり散歩 4km

11月15日(水) ミーティング

11月16日(木) 電車通勤

11月17日(金)  電車通勤       

11日18日(土) 電車通勤

11月19日(日) なし

11月20日(月) なし

11月21日(火) 歩きでショッピングに 8km

11月22日(水) なし    

11月23日(木) 電車通勤 

11月24日(金) 電車通勤

11月25日(土) 電車通勤

11月26日(日) 自転車試し乗り      20km

11月27日(月) はじり混じり歩き 4km 58分37秒 79.6kg

11月28日(火) なし

11月29日(水) 自転車乗り   20km 約1時間  80.4kg

11月30日(木) 電車通勤 

12月01日(金)     電車通勤 

12月02日(土) 電車通勤 

12月03日(日) 散歩

12月04日(月) なし

12月05日(火) CTスキャン

12月06日(水) はじり   6km  58分00秒  79.6kg

 

 

 

 

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