健康という‘想定の裏’戦法

《四分の三プロジェクト》コラボ段階(その2)

3QsP Day 109(2021年11月8日〈月〉)

生活寸言なら「暇があるときゃ金がない、金ができたら暇がない」。これを健康寸言に換えれば「元気なときは暇がなく、暇ができたときにゃ元気なし」となる。

その「暇とお金と元気」の三つが、どれも欠けずに済んでいる、というのが今の私だ。言うなれば、お金のために健康を売らずに年金年齢にまで達しえたトリプル効果である。

言うなれば、現行制度の想定の裏をかく戦法が健康で、命を人質にされないための戦略と言ってもいい。

そこでの要は、健康維持のために必要なのも健康――健全な生命活動――であって、金ではない。つまり、お金があれば(健康維持のための)運動をしなくてもいいわけではない。

要するに、健康とお金は、背と腹の関係にある。相互に交換可能などと、ゆめゆめ考えてはならない。

ところが今の私は、その健康とお金の両方が暇まで付いて、曲がりなりにも得られている。まるで現代の奇跡のようだ。健康のままで年金年齢までたどり着いたからだ。

そして、それらが曲がりなりにも得られていると言うのは、お金ももらえて「二重得」なぞとの意味では決してない。ことに健康と金が両立することで、いよいよ、お金を稼ぐための拘束から解き放たれた、真に自由な人生が送れる《黄金の機会》を得ているということ。ただし、人生も四分の三に至ってようやく。

こんな本来なら当然と言うべきことに到達するのに、どうしてこんなに時間がかかるのか。「ユートピア地球」よ、早く来い。

 

3QsP Day 110(2021年11月9日〈火〉)

運動後のあの至高の爽快感について、体験的な実証は幾度も述べてきた。それがいよいよ、科学的に実証されてきている模様だ。それは、筋肉の収縮によって分泌されるマイオカインという物質である。ほんのこの数年のことである。

このマイオカインとは、ホルモンとか生理活性物質とかと呼ばれているが、先に免疫を述べた際、サイトカインという「情報分子」という表現をした。

つまり、いよいよ、私たちの意識を左右する物質と情報の両方をつかさどる働きが解明されてきたということだ。

僕は、少なくとも1990年代の初めから、PhD論文作成中の毎日の運動を「マイドクター」と呼んで、その向精神効果を体験的に指摘してきた。

検索して見つけたそれに関する論文は、一種の老人学の分野において発表されている。いよいよその辺での前進が見られ始めたということだ。

 

3QsP Day 112(2021年11月11日〈木〉)

久々の1500メートルを泳ぎ、42分44秒。最後のが4月14日だから7カ月ぶり。しかもそのタイムは39分49秒なので、3分も遅い。ほぼ100メートル分。おそらく、記録のある1500の最低だろう。

 

3QsP Day 113(2021年11月12日〈金〉)

なにやら、しっかりとした運動を軸にした「健康オールディー生活」といったものが、3QsPの一画となってきそうだ。それはただのフィジカルなインフラ整備というだけでなく、メンタルな資源開発の取り組みとしてもである。

そのために、たとえば毎日の1、2時間ほどをあて、それがそうした総体的エネルギーの発生源となるなら、健康の増進と合わせて、二重の意義となる。

すなわち、もはや運動は、単に健康保持の方策にとどまらない。人生二周目に向けた自己再誕生のための方策でもあるということだ。まして、再就職の体力作りどころの話ではない。

それにしても、この再誕生のための運動とは、どういうことなのだろう。まさか、自分内部の雌雄によるセックス、妊娠、出産か? あるいは、生物量子論の発現?

 

3QsP Day 116(2021年11月15日〈月〉)

コロナ規制が緩和され、おおむね行動が自由となって、天気も申し分なく、久々に連れだってのハイキング(写真)。有名なボンダイビーチの北、太平洋に面した崖っぷちの遊歩道を8キロほどを歩き、半島先のワトソンベイからフェリーで市内へと戻る半日コース。

崖淵の遊歩道を行く。住宅が崖に迫って立ち並ぶ独特の光景。遠方はノースヘッドの岬。

市内到着後は、クルーズ船専用波止場にあるパブに陣取り、オペラハウスを正面にして乾杯。

一行は、男一人の私に還暦に前後するあたりの女性5人(仕事のため2人はパブから参加)。女性たちは皆、かつてのツアーガイドたちで、近年、細ってきていたその仕事だったが、コロナの打撃でほぼ完全に消滅。年金獲得までの日々をそれぞれに自活――結婚はしていても――の日々を送っているたくましい女性たち。私生活はさまざまだが、“異国”での子育ても終わり、誰もほぼ、ゆとりもあるリタイア生活に入ろうとしている。

地ビールのグラスを空けながら、私が質問してみた。

「この言葉は好きじゃないけど、『勝ち組、負け組』ってあるでしょう。皆さんって勝ち組ですよね?」

誰もみな、私の問わんとした意味を肯定はしたのだが、この毒気のあるマスコミ用語自体には無頓着のようだった。ただこの質問をきっかけに、日本に帰って旧友などに会った際の話しを始めた。そこにおおむね共通しているのは、生活に追われている様子を誰もから聞かされたという話。「『海外旅行したいけど、これから貯金しなくちゃ』と、もう60になるのに、級友が言っていた」と一人が語る。

これは私の見解だが、彼女たちはみな、経済成長期に日本を飛び出し、時の運もつかんで、海外生活を築くことをそれなりに自力で成し遂げてきた女性たち。その活発な行動力のたまものをこうしてエンジョイしている。それを「勝ち負け」などとは受け止めず、ひたすら自分の道を切り開いてきただけと思っている様子。むろん、それがかつての日本の経済力のおかげとは、誰も否定していないと見えた。

 

3QsP Day 117(2021年11月16日〈火〉)

ふと脳裏をかすめたことだが、私がこうしてせっせとノートしている記録は、たとえば50年後にはどうなっているのだろうか。というのは、最近の一連の記事のように、「相互邂逅」とか「三重邂逅」とかとなって、私は、自分の十代からのノートと今になって遭遇している。50年後にまだ生きているのはありえず、にもかかわらず、そうした「邂逅」との相似関係がありうるのだろうかとの話である。

その一方、常識的な寿命の話として、最近の話題のように「人生100年」と切りよく見積もってこの3QsPがあるし、そう書いてきているように、「生命の宇宙由来」とか、「越界問題」とかがある。

そこで漠然とだが考えていることに、何らかの予想もつかぬ媒介作用が働いて、「四重邂逅」とでも呼ぶべき現象――こうした今のノートが、50年後に、何らかの私自身によって読まれている――との想像がある。

間違いなく、それはこれまでとは異質の「邂逅」だろうが、実際に、まったくの予想外の「三重邂逅」までを体験してしまっただけに、何やら、予想を裏切る展開がありうるのではないかとの予感である。

 

3QsP Day 118(2021年11月17日〈水〉)

昨日の問いへのひとつの解に、今のノートは、デジタル情報として記録されていることがある。私は直観的に、このデジタルノートとすることを「宇宙化」として考えてきている。つまり、この電磁波化された情報は、宇宙に向かっても放出され、無限の旅を始めている。だからそれを宇宙のどこかで誰かが傍受することはありうる。そのように考えている証しが「あるエイリアンからの投稿」である。ならば、想定される「邂逅」には、たとえば、百万年後の宇宙のどこか、なんてこととなる。

それに、私の意識それ自体が宇宙化情報の一端の産物でもあって、「ガイア」ではないが、その無限サイズの情報体における、その一部の超ミクロ現象とも言えるのかもしてない。たとえば、量子理論の素粒子のコヒーレントな振る舞いのように。言うなれば、「宇宙の入れ子構造」。

そういう意味では、3QsPの完結とは、その「入れ子構造」のほんの初期の完了ということなのだろう。

 

3QsP Day 120(2021年11月19日〈金〉)

昨日、1500mを泳いだ時のこと、あと200mぐらいのところで、例のように、ふくらはぎの筋肉がつりかけてきた。それ以上に悪化させぬよう、足のビートはほとんどなしにして、腕のみで泳いでいた。それが最後の100mで、いよいよ危なくなった時、ふと、以前の体験を思い出した。それは、肛門の筋肉を強く締めること。泳ぎながらそれを数回くりかえすと、不思議なことに、つりかけていた感覚が一気に消えた。それどころか、ビートを意識的にしてみても大丈夫なのだ。間違いなく、この非常脱出法は効く。

前に、水泳中、腹を意識的に引っ込めてみると、泳ぎがどこかスムーズになる体験をした。その際も、腹筋を使うと、肛門筋も締まる感覚があった。

どうやら、長年の内に、肛門筋を含む腹回りの諸筋肉が緩んで、体全体の動きの連関が落ちてしまっているようだ。

腹のポッコリ出も、その結果だろう。

走る時も、2×2の呼吸の際、肛門筋と腹筋をリズムよく締めることを続けている。そうすると、脱肛を予防できる。

歩いている時も、腹筋を緩めてダラダラしていると、きまって脱肛気味となる。

すべて、腹回りの筋肉の弱まりの影響なのだろう。

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