朝、ジョンが通学に出る玄関先でのことです。
こちらでは「キンディー」と呼ばれる、小学校一年生になる前のゼロ年生(普通5歳)。就学準備のために、小学校に併設されているその「K」に出かけるところです。
出かける彼を見送ろうと、朝日の陽だまりとなっているドア口に立っていた私に、しゃがみこんで床下を指さした彼が何か言っています・・・。 詳細記事
朝、ジョンが通学に出る玄関先でのことです。
こちらでは「キンディー」と呼ばれる、小学校一年生になる前のゼロ年生(普通5歳)。就学準備のために、小学校に併設されているその「K」に出かけるところです。
出かける彼を見送ろうと、朝日の陽だまりとなっているドア口に立っていた私に、しゃがみこんで床下を指さした彼が何か言っています・・・。 詳細記事
それを「穴埋め働き」とよぶ、私のこの年齢や生活スタイルにふさわしい働き方をしてきています。
昔なら、学生のころの「アルバイト」も、そうした副次的な働き方でした。学業という本業――結構いいかげんでした――のかたわらで、副収入や一定の専門分野の経験をかじってみるのが新鮮でした。
こういう働き方を続けてきてもう十年にもなろうとしているのですが、私は現在、いい選択をしてきたなとしみじみと感じさせられています。 詳細記事
ここオーストラリアでの私の職業生活の主柱をなしてきた労使関係分野での働きが、オーストラリア滞在30年余の集大成をなすかのように、ある大詰めを迎えつつあります。
私はこの8月で満70歳になり、年齢上はすでにその“主戦線”から離脱した格好とはなっています。しかし、「ライフワーク」といった職業生活上の一連の関心の面では、いよいよ舞台はクライマックスにさしかかっているかのようで、深い感慨を抱きつつその到達を迎えているところです。 詳細記事
二週間の日本滞在から店の仕事に復帰すると、待ってましたとばかりの忙しさでした。
と言うのも、私の留守中に、キッチンの熱もの部門を担当していたアンディが辞めていたからでした。キッチン一同、私の復帰をいかにも待っていたかの雰囲気があって、“老兵”ながら、その期待には悪くない気分にさせてもらいました。 詳細記事
前にも書いたように、店と最寄りの駅の間には、約3キロメートルほどの距離があり、そこを自転車で走ります。そしてその駅を出るとすぐ、急な坂があって、行きは惰性にまかせて下っていても50キロほどのスピードになりなります。(ちなみに、この下りで記録を出そうと、条件のいい日など、ちょっとチャレンジしています。60キロ突破をねらっていますが、今のところ57.4キロが最高です。)
逆に、帰りはその急坂を登らなくてはなりません。これこそ心臓破りの坂なのですが、血液循環を最高に上げてくれます。
ところでこの坂には、一つの“ジンクス”があります。それは雨模様の日、雨がやんでいるからと店をでて帰路についた時、一度となく、この坂にかかるあたりで、急な雨に見舞われるのです。 詳細記事
このごろ、次第にいかんともし難くなってきているのが、指先の細かい作業です。
まだ、手先が震えるというほどまでにはなっていませんが、店の仕事をしていて、困ってしまいます。 詳細記事
このクリスマスには、ジョンにちょっとした我々からのプレゼントを用意しておいたのですが、それがうれしかったのか、翌日、彼からのお返しのプレゼントがありました。 詳細記事
週三日の店の仕事を楽しんでいると幾度も書いてきましたが、12月末、店にうれしい知らせが届きました。フランスのレストラン・ガイド誌『ゴー・ミヨ』の2016年版に、私の働く店「はちべい」がワンコック帽を獲得して掲載されたというのです。
【店に飾られた受賞証書と『ゴー・ミヨ』誌2016年版】 詳細記事