ヨレヨレ退職は当たり前?

越境体験=自覚的取り組み編=その8

QL-Day 104(2019年4月7日〈日〉)

日本という国は、本当に借金の好きな国だ。それは、先の世代に膨大な借金を残す国家財政ばかりではない。人々は、自分の将来の健康を前借りして現役時代に投入し切ってしまい、退職後に残っている体力も意欲も、もはや尽き果てているばかりか、その付けというべき、さまざまな「生活習慣病」に悩まされることとなる。「生活習慣病」と言えば、いかにもその本人の落ち度と聞こえる。だが、そうした欠陥行動を習慣化させているのは、それを強いる社会があるからだ。ことに、労働慣行の劣悪さはその極みだ。定年延長と言えば、これも聞こえはよいが、限界をぎりぎりにまで延ばして、なお働かざるを得ない現実にさらされているということだ。まるで、退職後は、ヨレヨレであって当然とでも言うかのように。

 

QL-Day 110(2019年4月13日〈土〉)

涼しくなり、プールの混雑もやわらいできたところで、水泳を再開。

これまで使っていなかった上半身の筋肉が弱ってしまっていて、泳ぎのきついこと、きついこと。

今日などは、500メートル泳いでそのタイムが7分40秒だから、100メートルラップは2分32秒ということになる。かつてはそれが2分少々、数年前でも2分15秒ほどだった。しかも、1500メートルを泳いで。まあ、自然な衰えだろうが。

 

QL-Day 113(2019年4月16日〈火〉)

今日は1000メートルを26分35秒、100メートルは2分39秒。

それこそ、100メートルを2分少々で泳いでいたころ、年配者がよたよたと泳いているのを見て、ずいぶんとゆっくりと思っていたことを思いだす。それが今や、自分がそれをやっている。

 

QL-Day 118(2019年4月21日〈日〉)

生産システム用語に「マルチ・スキル」というのがある。ひとりの労働者がいくつもの仕事をする多能工のことだ。

このごろ自分で、自分の人生上での「マルチ・スキル」は正解だったと思う。その多能さは、いくつかの変わり目が契機となったが、技術者から労働組合職への転職、オーストラリアへの留学などはその節目だった。

ことに最近では、還暦を契機とした寿司職人修行がある。「60の手習い」との言葉があるが、まさにその「手習い」で、そのまったくの新職種への挑戦を皿洗いから始めた。ちょうど人不足の状況とも重なり、機会には事欠かなかったが、この転機は、今日の自分の選択の幅を大いに広げてくれた。当時、ここまでの展望はなかったが、よくぞやった決心だったと、いまではほめてやりたく思っている。

二十代のころから、自分を出来合いの経路に乗せなくて(あるいは乗れなくて)、自分で切り拓いてきたお陰というべきか。

 

 

 

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