愁傷かつ妥当な覚悟

改めて「ポンコツ車運転」に乗り出し

本日1月22日をもって、当「私共和国」の小見出しTST:《時空トラベル》時代=旅立ち編=を改めて「ポンコツ車運転」とし(その記録は2月7日号より掲載)、さらに、名称の変更だけでなく、それをこの「私共和国」の新プロジェクトとして進めて行きます。

というのは、いま私は76歳も後半に入ろうとしており、あれやこれやと騙しだましに使ってきている自分の身体について、なにやら「使い古した愛車」にも似た日々の使用感を味わい始めています。そこで、それをこうした新たな工夫をもって取り組み直すことで、今後さらに末永く愛用してゆこうとの、愁傷かつ妥当な覚悟をしているところです。

この「車」、それほど長くも使ってきて、退役も考えてよい古さなのですが、自分の身体という事情柄、まさか買替えも廃車もできません。そしてこの先、騙しだましどころか、主要パーツ交換やらオーバーホールも必要となってくるやも知れません。さてはて、今後どこまで使えて行けるものやら判りませんが、ともあれ、選択肢は唯一、そのMax有効活用です。

 

このMax有効活用とは、一般的には、「健康維持」と称されます。そして、その最終局面に至っては、「長生き」とも通称されたりもします。

こうした、いわゆる健康意識全般について、ふり返れば私は、それを、2008年3月の「私の健康観 」、2021年12月の「私の健康観」 v.2、2022年1月の「私の健康観」 v.3と、それぞれにバージョンアップして表してきました。

こうした過去三段階の健康意識の進展について、それはそれで意味あるものでしたが、そこに欠落していた――良く言っても希薄であったもの――がありました。それは健康に関し〈自分で責任を取る〉との意識です。

すなわち、自分の健康にさほど本気で取り組まなくとも自然かつ自動的に維持されるというのは、〈自分で責任を取〉っていない意識であり、〈自分で責任を取る〉とは、そうした他人任せの結果としては考えない意識です。

むろん、若いうちは、そういう自然な回復力頼みで何とかなっていました。それが年齢を重ねるにつれて、その自然要素が確実に、プラス側にではなくマイナス側に傾くように移ってゆくわけで、終局に至ればいたるほど、むろんそれも人生ですが、ほぼ百パーセント、自己流技の成れの果てということとなります。

そういう意味で、私はこの既存で所与の自分の身体を、もはやどう見ても「ポンコツ車」と捉えるしかなく、それを生かすも殺すも、おのれが自主的に取り組むメンテナンス次第であると、文字通り真面目に考えはじめています。

 

つまるところ、自分の人生の退役後の毎日は、そうした〈自分で責任を取る〉行為しだいの産物です。

と言うことは、これって、どんなリタイア後であろうとも、リタイアできぬ《仕事》が続いているということではないか、と思っているところです。

 

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