ZG患者の繰りごと

  私の健康エコロジー実践法 =実遭遇編= (その5)

Day 54 (5月11日) 

Z君、ずっと大人しくしていてくれてありがとう。おかげでいまも自覚症状はなく、調子は上々だよ。流れも悪くない。

いまからここに書くことはね、根拠のあるような、ないような、言ってみれば僕の繰りごとに過ぎないけれど、まあ、聞いてもらおうか。

相変わらず、なんでZGと遭遇することになったんだろうっていう原因論が頭から離れない。恩着せがましく聞こえるかもしれないけど、これも、Z君、君が来てくれた、そのおかげというか、それに敬意を表すというか、ともあれ、その理由を考えさせられてのことだよ。

自分なりに調べてみた結果の一応の、医学的な根拠になりうる原因については、すでに書いてみた通りだ。僕の場合は、基本的には、いわゆる西欧化した食習慣が大ってこと。ことに日本人にZGが増え始めている理由は、肉や乳製品の摂取の増加が原因だと言われている。

それは確かなんだろうけど、しかし、どうも腑に落ちないのは、欧米人がそうした食習慣をしてきているのは、何も最近になってのことではないだろうし、日本人にしても、肉やミルク製品に親しんできたのは、それほど新しいことでもないばかりか、最近ではミルクの消費すら減っていると聞く。にもかかわらず、西洋人にも、日本人にも、ZGが今さらになって増加してきたのは、どういうことなんだろう。

だから、それ以外にもなにか隠れた原因があるはずだと思っている。

それで思いつくその犯人ってやつはね、Day 37 でもふれたけど、どうやら、セックスライフじゃないかって話だ。

そんなの関係ないよって聞いたりすると、なおさら、つっこんで考えてみたくもなる。

 

 Day 56 (5月13日) 

「原因セックス説」の続き。ZGご当人の繰りごとだけど。

まあ、いわゆる“下ネタ”話のひとつだろうが、その臓器の判っている役割――精液の製造や射精――がそうした役割だけに、それをセックスライフと無関係とするのもちょっと無理だろう、って話。

「下ネタ」話がゆえ、むろん、新聞一面に載る話題ではないが、奥のページで、あるいは、プライベートでひそかな関心事として、極めて切実かつ根強いからこそ、そういう本音の需要が存在しているのはあらためて言うまでもないことのはず。

そこでこの「原因セックス説」だが、それを端的に言うと、それは「バイアグラ」のせいではないか。おそらく直接の因果関係は立証できないだろうが、少なくとも、この薬剤販売のそれほどまでの成功と関係している社会的動向が一因としてそこに寄与しているというもの。いうなれば、男がいつまでもビンビンでありたいという願望が過剰に煽られているせい。ことに、そういう望みが、人が長生きするようになったうえに、いつまでも“元気はつらつな”という希望が、ご時世の売れる商品開発において、ひたすらそうした「下ネタ」がらみの本音にからまされて、必要以上にもてはやされるようになったからではないか、という説だ。そうだな、ジムにかよって肉体を鍛えることのナイトライフ版とでも言おうか。その際に使われるステロイドに代わるドラッグがバイアグラだったという次第。

やや脱線するけど、そもそもこのバイアグラって薬は、米国のファイザー社(売上高世界トップの製薬会社)が狭心症薬として開発したもの。そうした薬剤が、臨床で使ってみるとその副作用に勃起作用をともなうという苦情があり、いわばそうしたまったくの想定外の効用の発見だった。それが、おそらく、そうした男の本音という潜在需要への製薬会社による着目によって、潜在が顕在化させられ、ED治療薬と医師による処方もされて、「副作用が主作用」に言い換えられて新製品に生まれ変わった。

アメリカではZGは、男性のガンの死因のうち、肺ガンにつぐ第二の多さで(ガン患者数では皮膚ガンがトップ)、しかもいまだに増加中という。そもそも肺ガンは、たばこ会社のその発がん性を隠した意図的な販売拡大によりその被害を拡大したとのクラスアクション(集団)訴訟の判決まで出ているというアメリカならではの経緯がある。それと同じように、このZGも、そうした肺ガンにつぐ第二のガン死因になっているいうことの奥には、ここにもまた、いかにも米国風の――むろん日も豪も例外じゃない――儲けがらみのありえる話じゃないかと考えられる。

それならば、じゃあ僕も、そのバイアグラを使用したからこのZG遭遇かということだけれど、それはNOだ。これはそれより、もっと微妙でメンタルな話となる。つまりZGは、タバコの発がん性の問題といったようなストレートな関係より、もっと複雑な因果関係があるのだろうということ。

つまり、その菱形錠剤のお世話になったことはないのだけれど、上記の「いつまでも元気はつらつなライフスタイル」というテーマそれ自体は、もともと、僕のいわゆる「健康エコロジー」論の主柱であることは確か。ただそれが、いかんせん、男の本音というか、「バイアグラ頼み風潮」も含む世のはやりに合流しちまっていたみたいだ。ともあれ、僕の場合、そういう「いつまでもはつらつ願望」が「ビンビン願望」に連動して一種のエネルギー源になっていたことは、正直なところ否定できない(以前に書いた小説『メタ・ファミリー+クロス交換』のことに最終章参照)。

つまり、僕の場合ZGへの至り着きとは、そうして親しんでいたライフスタイルの、その一部のもたらす、一種のストレス作用の結果であったのではないかと思われるということなんだ。

むろん、こうしたきわめてプライベートな「下ネタ」分野の願望や行動がストレス化するほど、他者と比べて過剰であったのか否かとの客観的比較については、そもそもこの分野に信頼しうるデータなどあろうはずもない。従って、ごくごく主観的、自省的にいうのだけれど、宮台真司のように自称「やりまくる」タイプではなかった僕の場合、また僕らの世代から言っても、そういう人生体験には、モラルとして、どことなく抵抗感や罪悪感を伴うものであったのは確か。それが、それをストレスと言うのが正確かどうかはともかく、少なくとも一種の力みや発意に伴う負荷感を伴っていたのは間違いなかったかと思う。そういうメンタルな働きの何かが、Z君、きみの細胞の異常分裂をおこすトリガーとなっていたのではないだろうか、という説。

そしてむしろ僕の場合、そういう負荷感を伴っていたからだろう、そうした“祭ごと”を最後にやがて落ち着いて行った先は、人生の「出口期」へと向かう道すがらの自然なコース、「タナトス・セックス」となって行ったのではないかと思う。

南雲吉則医師によると、ガンとは、その人の長年の不摂生という生活習慣から体が自らを守ろうとする「修復細胞」だという(『50歳を超えても30歳代に見える生き方』講談社+α新書、p.82)

だから、そういうからみで言えば、ZGとの遭遇とは、そうした負荷感という不摂生がゆえの、“身から出た錆”であったのかも知れぬ。ただし、それをモラルに反するとかストレスとも感じない向きには、そうした不摂生も不摂生にすらならずにひたすらその道を邁進し、こうした遭遇をみごとに回避しえてゆくのやも知れぬ。(日本人って、キリスト教の洗礼のない分、西洋人より、そうした罪悪感はいっそう薄いのかも。)

以上、Z君、繰りごとへのおつきあい、ありがとう。

 

Day 64 (5月21日)

相変わらずの原因論議なのですが、それは、鼠蹊部、あるいは股関節部の血流の悪さというのがあるのではないか、というものです。

いわば、これも欧米流生活の影響と言えるのかも。

というのは、当地での生活をしていると、それはもう完全に椅子と机の生活です。ことに、書き物をする時間となっては、時には何時間も集中して、椅子に座り、机に向かい続ける生活となります。

以前に書きましたが、坐骨神経痛が出始めた一因も、こうした座り詰めの生活があり、おしりの部分は上半身の全重量を受け続けることになります。そして、そうして椅子に座って仕事をしている時、ほとんど必ずといってよいほど、無意識にも足を組んでいます。

つまり、おしり部への圧迫に加えて、足を組むことから、鼠蹊部は完全に閉じられた格好となり、時にはそこに軽いしびれを感じることもあります。

日本の座敷に座るような場合では、おしりへの圧迫は同じでも、足はたいていあぐらを組んで、鼠蹊部は大きく開いた格好となります。

つまり、そうした西洋式の日常から、鼠蹊部やその内部、ちょうど前立腺のある辺りへは、血流がずいぶんと悪くなっているのではないかと考えられます。

これはあくまでも自分の実感で、医学資料などでそうした記述を見たことはありません。

ともあれそうした実感から、毎朝、ベッドを出る時や、「はじり」の前のストレッチの時などには、パンタグラフのようにした両股を大きく開いて、固まった股関節のストレッチをします。すると、確かに、その部分へ新鮮な血液が流れ込む実感があり、何か、すうっとした心地良い感覚が得られます。

はたして、こうした見立てと対策は、的を射ているのかどうか。

 

Bookmark the permalink.