何年か前だったが、偶然な機会で知り合いとなった、まだ三十代の半ばにもなっていないだろうに、派手さはなく質実な印象の、ある日本人女性から言われたことがある。
「〇Xさんって、成功者ですね。」
それには思わず、「はぁー」っと間の抜けた返答をしてしまったのだが、ともあれその「成功者」との言葉は、思いも付かない僕への形容だった。
と言うのは、自分の感覚では、まあ「失敗者」ではないだろうが、「成功」どころか好んで軌道から外れる、せいぜい「脱線者」くらいの自認しかなかったからだ。だから、そんな言われ方はまるで他人事だった。
そしてむしろ、そんな私ごときにそういう形容を与える彼女自身について、まだ若いのにそう発想するほどの苦労や不運をくぐってきているからなのだろうかと、自分のことより彼女の境遇について気掛かりとなり、何やら、気の毒な気分にもさせられる体験となった。
このところ、日本人――だけではないが――について、ことにまだ若い世代の人たちに、〈脱線はおろか負の条件〉さえ背負っていると思わされることが少なくない。
そんなことから、ひとつの一般化をこころみるのだが、私の属す団塊の世代から、氷河期と呼ばれる彼女たちの世代を見ると、時代や経済の状態という、個人としてどんなに懸命に努力してみても克服できない、人生行路上の冷酷な――オージーなら「アンフェア―な」と言うだろう――所与条件を見る思いを抱く。
私の場合、彼女よりは数年遅いが同じく三十代の末に、すでにおおむね安泰をえていた団塊世代の中で、何を思うか海外に飛び出す偏屈者でありながら、下降の時代を迎えたその後の日本社会のそうした風当りも回避できた、いわば二重の幸運にめぐり合わせていた。
もちろん、そんな成り行きを予想しえていたわけでは毛頭ないし、そもそも、時代の風向きなぞ意図して選べるものでもなく、ただ、悪くない時代が巡ってきたにすぎなかった。
おそらく、彼女の私への、その「成功者」という表現には、そうした時代運の違いといった意味合いも噛みしめてのことだったのだろう。
加えて彼女の場合、同じく海外に飛び出すという体験――実際、ともに人生上の最後の機会に等しい――をしながら、その海外に滞在中、これは誰にとっても青天のへきれきであった、コロナの流行というさらなる不運に見舞われ、まったくもって不本意この上なく、強いられた帰国の憂き目に会わされてしまうこととなった。
私にとって、本稿の〈半分外人-日本人〉という副タイトルには、その字面上の“宙ぶらりん”な意味合いとは裏腹の、幸運となるか不運となるかの「一か八か」も含め、覚悟を決めて国をまたいだ「半々」な生き方がもたらす、自人生上の決定的な意味が込められている。
もちろんその「半々」とは、当初は地理的な「半々」であった。だが、今に至っては、本サイトが『両生歩き』と題されているように、二つの人生を股にかけてきたようにさえ受け止められる、「半々」となっている。
ちなみに、還暦もまた、それをまたいで「両生」と受け止める、これは暦上の自動的な「半々」への節目で、これもタイトル『両生歩き』のもう一つの含みとなっている。
いま、世界を見渡してみると、一国に自人生を託し切った、あるいは、託し切らされた生き方が、それこそ、実に不本意な生き方となる実例を、いやというほど見せつけられている。
ひとつの生命であるという人間としての所与と、国という人為的枠組みとしての所与との間には、いかにも計り知れない距離がある。そしてそこには、前者の一回きりのものを、そのまるで定まりを持たぬ後者にゆだね切れるものであるのかどうか、根本的な選択と不選択の問題を含んでいる。
その一回きりというものは、いったい、何により、何処において全うされるべきなのか。
ながらく自分を“宙ぶらりん”にさらしてきたが、いよいよ、最後の「選択と不選択」の境地が待ち構えている。