前日、パラリンピックの報道を視ていたからなのか、障がい者の施設を訪ねている夢を見た。
夢だから取り留めもないのだが、以前より知っていたらしいその施設が変わったとのことでの訪問のようだった。
行ってみると、施設の利用者は全員、男子のみとなっている。
どうしたのか、どうやら男女混合の居住の問題が生じて、女子は別の施設に移されたのだと、夢の中の自分は理解していた。
目が覚めて、夢に刺激されたように、潜在していた記憶がよみがえってきた。
昔、まだ結婚間もない頃、知り合いが身障者施設の職員をしている関係で、知的障害をもつ孤児の男子を、ひと月かふた月に一度ほどで自宅にまねいて、一泊二日のボランティア親代わりをしていたことがあった。
その際、その男子を自宅まで連れてくる、電車を乗り継ぐ片道二時間近い道中、彼はよく、駅のホームなどで、居合わせた女子高生らに突然に近づいて、相手を驚かしてしまう行動をとった。
そういう場合、事情を話して相手の理解を得るのだが、ハイティーンの歳で当たり前なのだが、彼の表す性的関心は、正直、私たちには扱いに困る問題だった。
話は変わるが、そのころ、自分たちの世代にある種のあこがれがあった。今でいうなら「バッパ旅行」だが、当時は機会も限られたほぼ手つかずの冒険旅行で、「世界無賃旅行」と呼ばれて、勇気あるなら一度は挑戦してみたいトピックとなっていた。
そして、親友の一人が、その「世界無賃旅行」に出かける決心をした。
その出発の日、彼は、小ぶりのリュックを背に、どういうわけかビニール傘を片手に、それだけの出で立ちで、東京港の竹芝桟橋を出る貨物船に乗って旅立っていった。
そういう彼を見送る私の心中は複雑だった。その彼とそれを見送る自分との間に、そうした選択をすることへの肯定と否定の同居する葛藤があったからだった。というのは、とがった選択をする一種の飛躍か、飛躍しない現実熟視の非選択か、二つの相容れない分かれ目を目前にしているからであった。
人生とは言う大小入り混じった片時も休めない選択の連続で、その結果、選択されなかった別人生をその背後に残してきている。
そういう意味で、もし、自分に子供がいたらとか、障がい者問題に関わることを続けていたらとかと、選択しないで残してきてしまった他の自分のことが脳裏をかすめる。
そしてそうした自分は、十中八九、現在のように外国暮らしはしていなかったに違いない。
そうした若い時分、どちらかと言えば、飛躍しない道を歩んでいたはずだったが、それが、それ以降の人生のどこかで飛躍的な選択をしたからなのか、今、この地にまで来て居続けてしまっている。