危険な崖っぷち

続・「リアル・メタ半々」の世界

《「人生二周目」独想記》第24号

前回「人生の“新フェーズ”か“旅支度”か」と題して、私の〈二周目人生〉の初めの18年の試みについての感慨を述べました。つまり、その〈「リアル・メタ半々」の世界〉とする試みは、「新フェーズ」と「旅支度」という、この歳にしてのそういうチャレンジを、肯定的に捉えようとしたものでした。だが、人のこころは揺れ動くもの。今回は、そのチャレンジの反面に触れる、それこそ五分五分の「危険な崖っぷち」についてです。

 

よく、リタイア生活を失敗しない秘訣は、「社会との接触を維持すること」とアドバイスされます。それはそれで正論でしょう。

ただ、広く現状を見渡した時、その「接触」が時として、ある種のトリックを意味している多々のシーンが見逃せません。

すなわち、「その接触の維持の最良策は働き続けること」と、人手不足対策と年金支出削減の一石二鳥をねらった、政府スローガンとも勘ぐれてしまうからです。

事実上の、「死ぬまで働け」との号令です。

 

今日、生活者なら誰しも、「ぎりぎりの崖っぷち」へとじりじりと迫らされている日々にあって、その手には乗せられまいと、何とか我ぐらいは張りたいものです。

そこで、その必要な「接触」の自分流の一手として、この「リアルとメタ」半々の場をなんとか編み出し、「リアル」圧力を半減させ、「メタ」の世界に他の半分の可能性を見出そうとしているわけです。

むろん、これこそが正気の沙汰と信じてはいますが、そうした現実離脱はひょっとすると、「新フェーズ」転じた「旅支度」なのかもと、際どい「崖っぷち」感を噛みしめている次第です。

 

さてはて、この言葉という媒体を介しての「社会との接触の維持」の試みは、はたしてどれほどに有効なのか、それはまったく未知数です。それこそ「自分実験」です。

リアルかメタかそのいずれがまともなのか、人生二周目ならではの手法とは思いますが、「生活者」しか試みれない、ここに至っての醍醐味です。

 

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