本章には、そのタイトル「超人間力」のごとく、現実界では架空事と扱われるだろう数々のいわゆる「超能力」があげられています。それはテレパシーから、それこそ霞を食う仙人に至るまで、常識上では考慮の対象には含まれない能力であり世界です。
しかし、本章の議論のように、そうした広範な諸能力がそう一覧されていると、それらは総体として、単なる絵空事として片付けられるものではない、それなりの現実味を持った世界となってよみがえってきます。 詳細記事
本章には、そのタイトル「超人間力」のごとく、現実界では架空事と扱われるだろう数々のいわゆる「超能力」があげられています。それはテレパシーから、それこそ霞を食う仙人に至るまで、常識上では考慮の対象には含まれない能力であり世界です。
しかし、本章の議論のように、そうした広範な諸能力がそう一覧されていると、それらは総体として、単なる絵空事として片付けられるものではない、それなりの現実味を持った世界となってよみがえってきます。 詳細記事
今は、それを「希望への展望」と呼ぶには余りにも先が見えない時代ですが、この「透明性の次元」と題された章が論じていることは、その「希望」をにらんだ、現状の分析と来るべきものへの「展望」です。
本章の議論は二つに大別され、その一つは、現状、ことに情報の隠蔽がどのように徹底されているかを一望し、第二に、来るべき、次元を異にした世界とはなにかを予想しています。 詳細記事
いよいよこの訳読も大詰めに入ってきており、今回では、その結論部の最初の章、「ユートピア」の議論を読んでゆくこととなります。
そういう流れで、本書の集大成部に踏み入って行くのですが、ただ、そういう性格がゆえに、それが逆に含んでしまう、つまり、かなり理念的議論に終始するという特性がゆえに、この章のみを読んだ場合、ある種の退屈な「観念論」との印象を持ってしまいかねない弱点があります。
そうした場合、その前にまず読者に心してほしいことは、読者は本書の一連の訳読を、《フリー》つまり「ただ」で――しかもオンラインで――読むことができている、ということです。 詳細記事
私などには、クロップサークルはUFOなどとくらべ、やや馴染みの薄いテーマです。日本の田にも出現したことはあるようですが、私の知識の限りでは、それほどに知られた現象ではないようです。しかし、畑に一夜にして描かれる図形が、謎の現象であるどころか、ETからのそういう形での何らかのメッセージであるとすると、俄然、興味を引き起こされ、その本物を見てみたいとの関心も抱かされます。 詳細記事
今回訳読の章は、「未確認動物学」といういっそう聞き慣れないタイトルの章です。
つまり、この章の要点は、世界のあちこちで伝説的に言われている、いわゆる「怪物」たちは、ETによる遺伝子操作実験による副産物だということです。
たしかに、世界に多々存在している少なくともそうした「怪物」たちの目撃談は、エソテリックな観点で、見直してみる余地はあります。
これまでの議論から見ると、ややマイナーな論点に見えますが、読んでみると、それなりに興味深いところがあります。
それでは、「未確認動物学」の章へご案内いたします。
別記事でも述べているように、カナダ旅行を終え、私にとって初めてのアメリカ旅行を始めています。
カナダのバンクーバーで、友人たち一行を見送った後、私と連れは、まずサンフランシスコに飛び、本訳読書の原著者、ブラッド・オルセン氏に面会しました。
その後、ロスアンゼルスをへてラスベガスを訪れ、10月5日夜から翌日には一晩と丸一日をかけて、まず、UFO見物のメッカ、レイチェルを訪れ、さらに訳読の「黒服の男たち(その1) 」でも述べられいる「エリア51」を実地検分してきました(残念ながら、ETとの遭遇はかないませんでしたが)。 詳細記事
本稿がオンラインされる頃、私は、初めての北米大陸旅行のため、アメリカに向かう機中にあります。旅程は、いったんカナダを訪れ、その足でアメリカ本土そしてメキシコに向かいます。そしてふたたびアメリカに戻り、11月8日の大統領選挙結果を見届けて帰路につきます。 詳細記事
もし、今回訳読の章に書かれていることが真実だとすると、世界中の政治家のすべての首が吹っ飛ばなければならない話です。というのは、今回の議論にもとづけば、もうすでにこの地球は、異星人の植民地となる勝負は決しているにも拘わらず、その「敗戦」の事実は一切、秘密にされ、各国民に何ら知らされていないからです(つまり、かつての「大本営発表」と同じことが、今日、世界的に行われているということです)。
そしてその“責任”ある――事実上の“言い逃れ”の――説明は、「それに対処しうる計画が開発されるまで、秘密にされなければならない」というわけです。つまり、もはや完全にお手上げなことを、いまさら発表する――そして国民の不安と混乱をあえてつくる――必要はない、ということです(逆に言えば、責任担う政治家にとっては、それは「墓場まで持って行かねばならない」知ってしまった事実である、というしかないことであるようです)。 詳細記事
おそらくこの章は、本書の中でも、もっともSF(サイエンス・フィクション)の度合いの高い章ではないでしょうか。言い方を変えれば、極めて深遠な仮説――あるいは最奥に隠されている真実や宗教分野にもおよぶ視野――を掲げている章ではないかと思います。
ことに、すでに人類の一定部分は、遠い昔のETとの混血による、人間とETとの「ハーフ」である(そういう言葉は用いていませんが)と言っている箇所は、その典型だろうと思われます。 詳細記事