Day 170+537(2月23日)
9月のカナダ旅行の計画がおおむね固まったので、今日、インドのガイドにメールを送り、6000m峰登山計画を、9月から半年ほど延期したいと伝えました。半年先といえば、日本の山の常識ではいわゆる春山。夏山ほど気安くはのぞめないシーズンです。去年の彼の話では可能とのことだったのですが。さて、どういう返事がくるか。 詳細記事
Day 170+537(2月23日)
9月のカナダ旅行の計画がおおむね固まったので、今日、インドのガイドにメールを送り、6000m峰登山計画を、9月から半年ほど延期したいと伝えました。半年先といえば、日本の山の常識ではいわゆる春山。夏山ほど気安くはのぞめないシーズンです。去年の彼の話では可能とのことだったのですが。さて、どういう返事がくるか。 詳細記事
Day 170+509(1月26日「オーストラリアデー」)
別にいまに始まったことではないのですが、齢を加えるということは、精神的安定がきわめてもろくなる一方だと、いやがおうでも認めざるをえません。そしてやがてやってくる認知症とは、それは病的症状であると同時に、本人にとってはおおらかな安住感でもあるようです。そこで、いったんその不安定つまり認知症の発端にとらわれると、自らが陥った病状のその片やのいたたまれなさから、逃げ込むようにその他方の症状に浸ってゆきたくなる、そんな心境的陶酔郷への誘いがあるような気がします。それゆえ、私の健康志向は、ともあれそれを「悪循環」の始まりと受け止め、そうしたのめり込みに魅了されぬよう、不安定さの進行をなんとかスローダウンさせようと自“訓”している、そんな姿かなと思っています。 詳細記事
Day 170+494(1月11日)
やや気がかりなことがあります。それは、この一週間ほど、また膝の痛みが出始めていることです。今回は左膝だけなのですが・・・。
来月の第一週には、ニュージーランドでのトレッキングが予定されており――年初の恒例となりました――、それに向かってのこのトラブルはちょっと心配です。
故障をかかえて行くのは少々無謀でもあり、この二週間のうちに、何とかせねばなりません。 詳細記事
Day 170+476(12月24日)
今日の「はじり」も「初心返り」のはじりでした。それも、開始早々、10日前のはじり断念の日を思い出す、あまりな足の重さにガックリさせられましたが気を取り直し、「初心返り」のはじりをいっそうゆっくりにしてみました。両手もぶらんとさげてまったく肩の力を抜いて、ほとんど歩きのような出々しでした。忙しい日が続いた後のため、念入りに準備ストレッチなどをしたはずだったのですが、体がはじりモードに入っていなかったようです。 詳細記事
Day 170+461(12月9日)
たぶん、暑さのためなのでしょうが、ここのところ、エクササイズの調子がいまいちです。ことに、陸上のそれが、低調です。暑さへの耐性が落ちてきている感じです。これまででしたら、30度を越えない程度なら、大汗はかきつつも、なんとか走れた、いや「はじれ」たのですが、今年は、大汗は同じですが、へばりが早くやってきます。
今日も、気温は26~27度ほどで、風もあってさほど暑くはなかったのですが、予定の10キロは途中で打ち切って、あとは歩きにしました。 詳細記事
Day 170+450(11月28日)
最近の報道、ことに日本よりのそれに接していて、このところ、ちょっと気に掛かることがあります。それはたとえば、「老後破産」とか「下流老人」とかと言った、なんとも“えぐい”報道用語と、それを教訓とするということなのでしょうか、そうした報道に相応するようにして増えている、投資や自前年金をすすめる様々な《マネー発起》記事や宣伝が目につくことです。
むろん、将来に備えよという意味で、そうした諸忠告も有用かとは思いますが、近状はどうやら「常識」を越えた領域に踏み込んでいるかのようです。長年、常識を養いつつ生きてきた者にとっては、お金とのしがらみある付き合いは、それなりの勝手知ったる分野でもありましょう。なのに、そうした右ならえな報道やそこに暗黙視されている、いわば「万事お金頼り」「マネー極楽」な世情には、ますます危なくなる足元を感じさせられてしまいます。 詳細記事
Day 170+438(11月16日)
こんどのヒマラヤ行きでは、特別な経験と出会えたことについてはすでにふれました。そしてその後も、ヒマラヤの山の写真を自分のPCの背景に入れるなどして、毎日のように、それも日に幾度も、繰り返しその貴重な体験を反すうしています。
そこでなのですが、そう繰り返して噛みしめれば噛みしめるほど、これまでにも幾度も述べていることなのですが、《健康であるということ》が、ますますに、最高の宝物をえていることなのだということに、じつにしみじみと思い至ってきています。 詳細記事
Day 170+418(10月27日)
《自分でも不思議》とでも言ってよいのでしょうか、そんなことを今回のヒマラヤ・トレッキングで体験してきました。それは、先に「ポジティブ・ストレス」に書いた予期せぬ「バランス能力の回復」もその一例だったのですが、別の例をあげれば、前回の「《続》ヒマラヤ・トレッキング・フォト・レポート」に掲載した二枚目の写真にまつわる体験です。その写真は自分でシャッターボタンを押したショットのはずなのですが、撮れていた画像は、仮に偶然の産物だったとしても、出来過ぎな作品となっています。そのキャプションに「かくも些細な存在、人間」とは入れてみましたが、何というのでしょう、なにやらを暗示する含みある写真となっているのです。 詳細記事