今回の独想記は、OpenAIのCEOであるアルトマン氏との仮想対話。というのは、去る10月17日、米サンフランシスコで氏は「AIの収益でベーシックインカム実現」構想を公表した。その「ベーシックインカム」と、いわゆる社会保障とはどう違うのだろうか。
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まず、この構想について簡単に説明しておくと、今、爆発的にその利用や開発が拡大しているAI技術による、これまたぼう大に拡大中の事業収入を用い、AIの普及によって職を失う人をはじめ、あらゆる人の生活保障のための基本所得を支給するというものである。つまり、生産が人の手や頭からAIに移って行く新時代にふさわしい、新たな所得分配システムの設立構想である。
〔注〕以下の対話でのアルトマン氏の発言は報道記事から想定したもので、実際の発言によるものではない。
私 あなたのこの構想って、私のような「ブーマー」世代から見ると、一種の共産主義のようにも見えます。もちろん、その古典的なものと区別して、「AI共産主義」とでも呼び換える必要はありますが。
アルトマン 「共産主義」という反応も面白いですが、私のいう「ベーシックインカム〔Universal Basic Income〕」保障というのは、いわゆる体制変革を意味するものではなく、資本主義社会の持続を前提にした一定所得の保障システムといった構想です。
私 まだこの構想の詳細を議論する段階ではないと思いますので、その大枠のアイデアのシェアーに立って、私の側からの提案をしてみたいのですが、聞いてもらえますか。
アルトマン もちろんですとも。なんでしょうか。
私 実は、あなたのこの構想を知って、とっさに、自分はすでにそうした構想の受益者じゃないかと思ったのです。
アルトマン まだ構想段階で、その受益者はいないはずですよ。
私 もちろん、私がその受益者であるのは、あなたの構想によるものではありません。具体的には、現行の年金――私の場合、一部は日本、主にはオーストラリアのもの――の受給者であることで、あなたのいうUBIによるものではありません。
そうなのですが、私は、この年金支給を受けていて、基本的に、生活する「ベーシックインカム」は得られていると受け止めています。そして、自分でよく言う表現ですが「リタイア後の〈二周目の人生〉」において、収入確保の辛苦から解放されて、長く待ちに待った人生の春を、いまこそ謳歌しています。
アルトマン 失礼ですが、そのお年で、人生の「秋」ではなく、「春」とは驚きですね。この構想による保障額など実際面はまだまだ先の話です。それなのに、すでに事実上の体験者がおられ、それを謳歌までされているとは、ぜひ、その話をうががいたいですね。
私 まず、ちょっと勘ぐったような話をしますが、勘弁して下さい。そこでですが、OpenAI社という一私企業が、そうした社会保障機能を果たせるものなのですか。
というのは、年金、ことにオーストラリアのそれの支給額は、セイフティーネットとしてのもので、もちろん、それで生活してゆくのはかつかつのレベルです。そこでいろいろな工夫は必要なのですが、ともあれ重要なのは、それでも、その制度がもたらしているUBIの働きが社会的に機能しているということです。つまり、その支給が、民主主義に基づいた公益を代表する政府による制度という意味で、社会的規範を成しているからです。私企業の儲けの分配ではありません。
アルトマン AI技術の一導入者として私の構想の眼目は、一種の社会的責任です。そして、その技術の普及による、実際の弊害を打ち消せる、よりよい社会へのビジョンです。
私 その利益分を、税金あるいは寄附として、国の制度に還元するつもりはないのですか。
アルトマン 要は、創造的人物なり企業体が、第三者ではなく、自らのイニシアティブと責任において社会発展のリードをするという新しい社会へのビジョンです。
私 なるほど、誰よりも進んだAIシステムを開発した主として、その先導性を、たとえ国だろうと第三者に委ねず、自らの責任において前進させるのが使命という観点ですね。
ところで、そうした先導性は、お金を経由せず、そのAI技術そのものの中で発揮できないものなのですか。たとえば、技術そのものに内蔵された、いわば「AIの全人間的」発現。
アルトマン もちろん、AIのそうした発展は究極のターゲットではあります。そこでですが、お話によれば、すでに今でも、確かな活用法といったものの経験がおありのようですが、それはどういうものか、話してください。
私 簡略に言えば、それが国の年金制度であろうと企業利益の還元システムであろうと、そうして実現した人為的環境をもって、どう創造性の実現が確保されるのかということです。つまり、AI技術の売り込み先である、あるいはそうした支給制度の受給者である、人間側での反映問題です。言い換えれば、お金の遣り取りとしてなされている働きを、どうほんとうの創造的生産に変換できるかの手法です。
アルトマン それは現行のAI経由では果たせないのと見ているのですね。
私 最終的には、お金の効用を創造への資源に変換できる唯一の推進体として存在しているのは人間であり、そしてその頂点ともいうべき、一種の哲学的な働きです。これは断定的な言い方となりますが、それはAI技術では乗り越えられない、人間だからこそ可能な実務だと見ています。つまり、AIという、どれほど発達しようが還元論的機械システムであることは越えられない、そういう生きている生命ではないという本質のところでは、やはり人間だけができ、しなければいけないことが光る。AIの作り出した生きていない世界に、生命の息吹を、誰が、何が、吹き込むのか。
アルトマン AI技術がどこまで発展できるのか、それはまだ誰にも見通せません。一方、現在のAI技術に限界があるのも否めません。
私 究極は、生命がゆえに持つ仕組みにあるということだと思います。しかしながら人間は生命体でありながら、自分でもよく、その秘密が解っていない、できそこないの生命のようです。だからこそのAI技術の限界です。
そこでですが、これは、私が自らを使った実験的体験による、その意味では特殊な、生命がゆえの仕組みのほんの些細な糸口ですが、いわゆる「健康」つまり、命の正常な働きにかかわるものです。そしてその働きの確保方法について申せば、健康作りのための「運動」の機能を、その技術なり発意にどう内蔵させれるのかということです。奇異に聞こえるかも知れませんが、その実験的体験の限りでは、「運動」はもう、ほとんど「哲学」として働いています。
アルトマン AIが、すでに、新しい薬品開発にも活用できるのは確かですが、それはあくまでも、健康を補助する薬剤作りであって、健康な身心そのものへの関与ではない。
私 AIのアルゴリズムが、たとえば、人体の中で働いている生情報体に直接関与できるのはまだ不可能でしょうし、そもそも、人間の創造への意欲といったものは、身心の総体的融合がもたらすもので、まだまだそれは数理化されておらず、そうした分野にまでAIは介入できないでしょうね。
アルトマン AIが扱える機能は、あくまでも論理性として生じている様々な仕組みや現象の数理アルゴリズムを通してのものです。そういう意味で、AIは、高度とはなっても「道具」であることは越えられません。しかし、それだけでも、実際になせることはぼう大で、世界を変えれます。
私 それは確かに疑いないですが、AIって、どこまで行ってもアルゴリズムの世界で、どんなに高度になろうと、代数学の域をこえられません。でないと、コンピュータ自体がフリーズしたり、無限ループに入ってしまうでしょう。でも、人間や生命を置き換えれる代数やアルゴリズムではない。それができれば、代数学は生命体となって生命を産みだせことになる。
アルトマン 当社が開発したAIは、あくまでも高度なアプリ群ですが、おっしゃる通り、生き物ではありません。誰かがスイッチをONにし、起動させねばなりません。
私 針小棒大に聞こえるかも知れませんが、私は、現行の年金制度のおかげで、金品的にはかつかつでも、豊かに生きているという生存を実感しています。そういう意味では、AI世界の外側――利用はしても少なくとも依存抜きで――で生きれており、そして「ワームホール」というSF的アイデアへの期待すらも抱いています。だからこそ、創造性に触れえていると密かに自負しているのですが、その創造性を起動しているのは、今のところ、「運動」を介して相互影響しあう身心の総合的働きが鼓動しているがゆえです。AI内蔵電脳ロボットといっても、それにこの「運動」機能を持たせる――実装された筋肉相当部からフィードバックを得ている電脳――のはまだほど遠い。「哲学」の出どころとしての「運動」機能を備えたAIは可能でしょうか。
アルトマン あなたが体験していることを、リバースエンジニアリングしなければならないようです。