「ポピュリズム」政治家たちの世界各地においての隆盛が、各国の既成政党政治を脅かし始めている。
アメリカの大統領選挙におけるトランプ候補の異色な強さは、最終選挙結果はまだ未定ながら、既成の政治システムが機能を果さなく始めた、終わりの始まりを警告するに充分な現象と映る。
英国においても、ブレクシット(英国のEU脱退)をリードした元ロンドン市長、ボリス・ジョンソンの顕著な動きはその別例である。
さらに、それをポピュリズムと呼ぶには政治的偏りが強いとしても、フランスや他のヨーロッパ諸国での極右政党の台頭も、やはり、そのような形での既存政党政治への不満の噴出である。ちなみに、米国におけるこうした脈略での現れは、サンダース民主党候補のしたたかながら失望をかった――不満を主流政治につなぎとめようとする――活躍だった。
それに加え、東京都知事選挙における小池百合子の勝利は、それをポピュリズムと呼ぶ声は日本ではまれなようだが、米国大統領選挙になぞらえて言えば、日本の地方首長選挙レベルで生じた――政治的空隙の合間をつく――ゲリラ的ポピュリズム戦法の勝利である。さらに、初の女性都知事の誕生という面では、クリントン候補もそれを前面に出している「女性リーダーの時代」を先取りした感もする、多面に世界的政治傾向に先行した選挙戦であったとも見ることができる。
ちなみに、私が長居するオーストラリアについて触れておくと、この国では、義務投票制――事実上100パーセントの投票率――によって、その選挙は本質的にポピュリズムが避けられず、当地では「スウィング」と呼ばれる行方の定まらぬ数パーセントの票――日本でいう浮動票や棄権票――の行方が、各選挙の勝敗を分ける。その票のきまぐれさは、現役の首相ですら落選をなめさせられるほどの、権威の薄さである。オーストラリアは、そういう意味では、「ポピュリズムの元祖」である。
ともあれ、そのように、「ポピュリズム」が世界のキーワードとなっている状況がうかがえる。
ただ、こうした世界の政治的傾向を、広く「ポピュリズム」とよんで、それを新たな政治動向であるかのように論評するのは、日増しに報道への締め付けが強まる世界的傾向の中で、正鵠を得た分析を隠す、意図的な視点のはぐらかしと見受けられる。
そうして、あえて「ポピュリズム」として取り上げる狙いについて考えれば、それは、大多数の有権者の不満を、既成のシステムがそのように「○△イズム」として汲み上げているかに見せる懐柔策であり、さらには、大量の不満層が一団に結集しないための分断策であろう。
いうなれば、「ポピュリズム」とは、実質の中身はあえて骨抜きとされている、一時しのぎで外見ばかりが華々しい、アドバルーンのようなものである。むしろ、「ポピュリズム」などとは呼ばず、「ヘボ役者の悪乗り芝居」とでも呼ぶのがふさわしいほどだ。
そうした世界的な不満の広がりは、たとえ先進諸国であろうと、その国民の生存条件の貧困化がゆえにであり、旧来の言葉――サヨク用語というなかれ――では、経済的「搾取」の結果の「プロレタリア」化と呼ばれるべき現象である。
それが、そうした傾向の変革を実行すべき「革新」政党が、どの国でも広範な支持を失っており、有効に機能できないでいる。確かに、だからこその、最初に述べたような、世界各国に見られる、既成システムの無機能化である。
弁明じみた話をするつもりはないが、むろんその背景には、そうした革新をうたう政党が、旧態依然な発想への執着による自らのガラパゴス化や、規制緩和された制度によってその足場が切り崩されたことにより、無権利化にさらされる人たちを支援する受け皿になれなくなっている現実がある。あるいは、私たちが、そういう貧困化をねらう執拗な動向に無頓着すぎた落ち度や油断もある。
日本社会も、一時期までは、集団的な権利や最低基準の保障が、規制緩和の動向とバランスを保ち、曲がりなりにも貧困化への歯止めをなし、成長社会を築いていた。しかし、上記のような圧倒的多数の勤労者が貧困化にさらされている現実は、そうした旧来の歯止めが利かなくなり、富が広く分配されず、密かに一部に集中していることが、なによりも大きな原因である。
一律な規制や集団的権利の施行が私たちの実情に合わないなら、それを個人レベルで確保できる、権利意識の共有できる社会システムの涵養が不可欠となる。
そういう意味では、誰にでも、常識的に取り組めるシビルミニマムの確立が常に目指されなければならないだろう。
私見ながら、法律による規制によってそうした歯止めを利かせてゆこうというのは、今日にように、私たちの個的意識やその自由が重視される社会には、何とも堅苦しくて不向きである。
むろん、個人はたやすく盲目化されやすいとの弱点をふまえて、発言や報道の自由の権利を通じて、個の尊重と社会的共有とが両立され、ともに守られてゆくことが原則となる。
ゆめゆめ、「ポピュリズム」なぞという聞こえのよい言葉に迷わされて、その中身のないアドバルーンに目を奪われてはなるまい。