世界支配

〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その21)

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世界支配 

「資本主義とは、最も厄介な動機を持つ最も厄介な者たちが、ともあれ皆の利益のために働いてくれるという異常な信念である。」――ジョン・メイナード・ケインズ

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この「エソテリック・シリーズ」第三巻『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて』のもくじのように、この「ネオファシズム」の部は、その第一部とされています。その順序が著者が判断する重要さの順序だとすると、そうした情報に私たちがあまりに疎いことに気付かされるとともに、逆に、それほどに、事態の隠蔽が深いかが暗示されていることとなります。 詳細記事

オカルトとファシズム 

〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その20)

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オカルトとファシズム 

「もっとも根底にある精神的現実は、想像を絶するほど複雑であるため、直感の最も遠いところでしか把握することができず、しかも非常にぼんやりとしか把握できない。だからこそ、シンボルが必要なのだ。」――カール・ユング

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もし私が、この部のタイトルである「ネオファシズム」というアメリカにいての命名を、例えば、10年前に読んでいたいたとしたら、多分、それに納得できなかったでしょう。しかし、それを今読むと、まさしく、それがアメリカ社会であることに深くうなずけます。

たとえば、この表現です。 詳細記事

ネオファシズム

〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その19)

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ネオファシズム 

 

群衆、暴徒、洗脳されていない大衆は家畜とみなされ、飼育係から真実を知ることを許されることは、めったにない。彼らは信じ、草を食み、鳴き、言われたことによって生き、死ぬのです。

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以前に述べたことではありますが、私にとっての「訳読」とは、その書物の「本読」を前に、それが期待にそう本であるかどうかを判断する、一種の準備作業のことです。

それが日本語で書かれた本の場合、事前にさっと内容に目を通すことでおおむねそうした判断ができるのがほとんどです。しかし、それが外国語で書かれた未邦訳本の場合、そうした「さっと見」ができず、ともあれまず内容をいったん通読可能な日本語にし、それをもって判断しなければならない、おそろしく手間ひま要する下ごしらえが避けられません。 詳細記事

超人間主義構想

〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その18)

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超人間主義構想 

「もし人々がどんな食べ物を食べ、どんな薬を飲むかを政府に決めさせたら、彼らの体はやがて専制政治の下で生きる魂と同じくらい気の毒な状態になるだろう。」――トーマス・ジェファーソン(1778年)

 

このことに気づいている人はほとんどいないが、人類はまったくユニークな新しい種になろうとしている。このHuman 2.0は、Homo Evolutisと名づけられた。バイオテクノミー会長兼CEOであるフアン・エンリケスが2009年のTEDで語ったところによると、この新種のユニークさは、「種の進化を直接、意図的にコントロールすること」だという。彼はそれを「究極の再起動」と呼び、DNA操作と治療、組織生成、ロボット工学の融合がこの偉大な飛躍を可能にしていると述べた。だが、はっきり言って、トランスヒューマニズム〔超人間主義〕は、作り出された人類の進化の終末点である。 詳細記事

「ETはすでに居る」とのタイトルの今回の訳読は、この地球はすでに、ETたちが必要とする食品を飼育する“牧場”となっており、まさに私たちは、ETの“家畜”にされているとの話です。 詳細記事

ETはすでに居る

〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その17)

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ETはすでに居る 

「地球が少なくとも一つの地球外文明により訪問されているという証拠は、その範囲も詳細も広範である。全体として、それは少なくとも地球外生命体が発見されたという一般的な評価を支持する一連の証拠を構成しており、精力的な研究プログラムと真剣な外交的取り組みが正当化される。」――地球外知的生命研究センター(CSETI)所長 スティーブン・グリア博士

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私はこの「エソテリック三部作」を、ひとつの角度、すなわち〈知的アメリカ人による自国観〉と見て、訳読の趣旨のひとつとしています。というのは、私にとって、アメリカとは、戦後生まれの私の成長の背後に設定されていた隠れたバックボーンであり、ポジにもネガにも、私の世界観の形成の一つの所定条件となってきました。そういうアメリカには旅行で訪問したことはありますが、住んだ体験はなく、その理解の土台は一般的報道の域を越えるものではありません。そういう米国で、ことに親しいアメリカ人の友人もいませんが、この三部作の著者のブラッド・オルセンとは、その旅行の際、彼の在住するサンフランシスコで一度お会いしています。

この三部作なり『天皇の陰謀』なり、私が米国人による著書を、けっこう慎重に読んできているのも(いずれも「両生図書館」に蔵書)、そうした私のなかに刷り込まれた部分の出所を検証したいからでもあります。 詳細記事