QL 1Year+365Day=2Year(2020年12月24日〈木〉)
今日はクリスマスイブ。その日と、QL2Yearがちょうど重なった。
いくつかの記事に書いたように、QLも2年となると、確かにその内容も充実してきたかに感じられる。
さすがに今日の午後は、いつものはじりコースに人影は少なく、比較的静かな10キロはじり。日差しがきつく、タイムは平凡。
QL 2Year+3Day(2020年12月27日〈日〉)
目下シドニーは、北部の海岸地帯(裕福住宅地帯)で発生したコロナクラスターのため、地区による封鎖が実施されている。おかげで、ボクシングデー恒例のシドニー・ホバート間ヨットレースも中止され、ニューイヤーイブの花火大会の開催も危ぶまれている。
そんな中、人出の低調さをついて、ブルーマンウンテン(略称「ブルマン」)の山歩きに出かけた。昨日の雨天の湿気が残り、朝方は雲が低く立ち込めていた。
ブルマン特有の谷あいを歩くコースなのだが、前半は、ハイキング気分で歩ける平凡な道だっただが、後半は決まった道がなく、川沿いにルートを見つけつつ踏破しなければならない。
いざ、歩き始めたのはいいが、案の定、少しもはかどらず、足元は危なっかしい飛び石伝い。しかも沢歩きの用意もない。これは時間的にも安全上も無理と判断。引き返して、最寄りの駅にもどるコースで終わらせる。
ところで、最近、しきりと感じるのは、体調は悪くないのだが、パワーの不足。急な負荷の増加に体がついてゆけず、ペースを落とすしかないこと。歯がゆいのだが、やむをえない。
それでも、森林の中を歩く爽快さを実感できるのだから、それを支えてくれている体には、感謝せねばならない。
QL 2Year+5Day(2020年12月29日〈火〉)
一週間ぶりの泳ぎ、わずかな間隔だと思うのだが、もうすっかり弱っている。だからといって、今度は泳ぎに集中すれば、はじりが手薄となる。いやはや、あっちを立てれば、こっちが立たず。
QL 2Year+6Day(2020年12月30日〈水〉)
夏目漱石の『草枕』ではないが、「はじりながら、こう考えた」。運動と脳機能との関係なのだが、私の体験上では、それは「正」の関係にある。つまり、運動に取り組めば取り組むほど、頭の働きも向上する。最近の老人医学の話で言えば、運動は認知症を予防する。
それはなぜ、との問いには、医学は、脳への血流の増加とする。つまり、脳への充分な養分の供給である。
物的にはその説明でよいのだろうが、どうも、それは一面的なのだ。
それを、直感的な表現で言えば、「脳がシャッフルされて、本来の生産原点に戻っている」、そんな感じである。
脳に限らず、人間自体も、いろいろな余分な作業をさせられていて、本来すべき作業に、なかなか立ち返れないのだ。
それを、運動という本来の司令部へと脳を帰らせ、しかも、運動強度を増すという効率が要求される作業を行う時、もはや脳は、より有効な状態へと変化しようとしているのだ。
「オートポイエーシス」という概念がある。日本語では「自己創出」とか「自己産出」と訳されるのだが、システムとしての生命の特性を捉えたものだ。
この語を用いて上の説明を言い換えれば、そのように、「オートポイエーシス構造」は《自己の創出》を実行しているのだ。
生命が行っているこの「オートポイエーシス」とは、どうやら、単なる物質反応ではなさそうだ。それをインフラにした、上部作業である。
松岡正剛は、この作業を「情報の編集」作業という。それもそうなのだが、それはまだまだ「頭の働き」のトートロジーだ。
シュレディンガーなら「負のエントロピーを食べる」とする。つまり、エントロピーという無秩序化の「負」、つまり秩序化の実行とするのも、これまた科学用語での高級なトートロジーと言えないか。
そこでだが、私という《実験中の被験者》の運動体験をもとに、運動の負荷増に伴う“苦痛”感覚に着目して言えば、「苦」という「負の感覚」と、それがもたらす「正の感覚」という脳の働きの向上や爽快感と言えないか。
想うに、この「苦痛感覚」とは、たとえば脳のシナプスが、それがゆえに、より最適な結合を作り出す圧力となっているということではないのか。例えば、私がくも膜下出血で身体機能が麻痺した際、運動部のトレーニング感覚で回復訓練をやったように、そういう一種の「トレーニング」なのではないか。
つまり、この正と負の両面出現という《“対”現象》あるいは《重なり合い》が、実行されているということではないか。
ならば、「オートポイエーシス/自己創出」とは、この《対現象》あるいは《重なり合い》の実感として表出しているのではないか。
QL 2Year+8Day(2021年1月1日〈金〉)
下表のように、昨年一年間の運動を集計してみた。
一見して明らかなのは、2020年は、運動量が大きく伸びていることだ。これはコロナの影響で、自分時間が増えたことによる。その生まれた時間を健康向上につぎ込んだ結果である。
これを、過去3年間で比較すると以下となる。
この3年間の結果を見る限り、そのタイムは、はじりも水泳も、ゆるやかな下降傾向はあるものの、さほど急なものではない。
一方、上記のように、コロナ対策の外出制限のおかげで、運動量を増やすことができている。それを加味すれば、タイムの下降もさほどのものではないどころか、質と量を勘案してみれば、上々のものとさえ言えるだろう。
日ごとのタイムはその時の思いがからむが、平均してみた以上のようなデータは、運動の結果、能力の維持に成功していると言ってもよいのではないか。
つまり、運動による身体インフラ能力の維持は、成功している。
これを、加齢により下降してゆくのが自然とするのが、従来の観念であったとすると、この、微妙ながらもの下降のスローダウンないしほぼ停止は、ロングレンジでみた誕生、つまり、《二度目の誕生》と言えないか。
QL 2Year+9Day(2021年1月2日〈土〉)
暗い新年の始まりをよそに、私の思考はボルトがあがっている。つまり、私の「オールディー発達学」は、運動医学の分野で、それなりのエビデンスを獲得しつつある。
そういう二つの報道記事を訳してみた。
- これは、最近、自分でも気付いているのだが、この本は、「無理をするな」との通説が必ずしも正しくなく、むしろ、負荷増をかけることが脳活動の活性化を促すとの実感を裏付ける、との説を説いている。
- この記事は、私の40代からの運動習慣とその実感を裏付ける内容。
QL 2Year+13Day(2021年1月6日〈水〉)
2日と今日と、インターバル式の「はじり」を試みている。いずれも10キロのうち、4回ほどを、3~400メートルほど区間でを速度を上げ、その後は息が落ち着くまで速度を落としながら通常ペースにもどす。これを繰り返すのだが、総タイムはほとんど変わらない。
タイムを縮めることが目的ではなく、呼吸の酸素交換能力向上による、血液の質の上昇にある。
まだ、二度ほどの実施では、その効果がどうかは明らかではない。
この1ヶ月間のエクササイズ・ログ
12月07日(月) サイクリング 26km
12月08日(火) はじり 9.5km 1時間17分52秒 76.6kg
12月09日(水) 泳ぎ 1000m 25分52秒 77.4kg
12月10日(木) はじり 9.5km 1時間17分20秒 76.0kg
12月11日(金) 泳ぎ 1200m 30分40秒 77.3kg
12月12日(土) サイクリング 12km
12月13日(日) はじり 8km 1時間06分45秒 76.0kg
12月14日(月) 友人宅訪問
12月15日(火) 泳ぎ 1400m 36分42秒
12月16日(水) はじり 9.5km 1時間18分27秒 76.0kg
12月17日(木) 泳ぎ 1100m 28分00秒 76.6kg
12月18日(金) はじり 7.5km 1時間03分15秒 76.2kg
12月19日(土) 友人宅訪問
12月20日(日) はじり 7.5km 1時間02分47秒 76.6kg
12月21日(月) 泳ぎ 1000m 26分00秒
12月22日(火) 歩き 8km
12月23日(水) Bushwalk Kurnell to Cronulla 18km
12月24日(木) はじり 10km 1時間25分11秒 76.0kg
12月25日(金) 外食へ
12月26日(土) はじり 10km 1時間21分20秒 77.1kg
12月27日(日) Warrimo-Blaxland Walk 10km
12月28日(月) なし
12月29日(火) 泳ぎ 1100m 29分01秒
12月30日(水) はじり 10km 1時間21分55秒 75.9kg
12月31日(木) 泳ぎ 1000m 25分09秒
1月01日(金) なし
1月02日(土) はじり 10km 1時間21分59秒 76.2kg
1月03日(日) 歩き 4km
1月04日(月) 泳ぎ 500m 12分29秒 雷雨で停止
1月05日(火) 友人宅訪問
1月06日(水) はじり 10km 1時間21分57秒 75.8kg