私の自転車通勤途上に急な坂があって、そこを下る時、ただ惰性にまかせるだけでも時速50キロほどにもなるという話はすでに書きました。そのスピード感には、危険は伴うものの格別のスリルがあり、条件のいい時――晴天、追い風、車の切れ目――などには、あえてペダルを踏んで加速し、60キロ超えをねらったりもしていました。
そういう急坂の終わり近く、つまりほぼ最高速度に達しようとするあたりに、左から入ってくる脇道があります。これまで何度か、怖い目に合わされたのはいつもその地点です。その脇道から合流してくる車が、無理に割り込んできたり、時には、下ってくる一台の自転車になど、まったく気付いていないことがあるのです。
加えて、そうした条件は揃っていても、そこで車が合流してくるかどうかはまさに賭けで、しかも相手が当方に気付いていないとなると、それは命取りにもなりかねない大損勝負となります。
そして、まさにそうした事態が、昨日、発生しました。
その時、私は坂をフルスピードで下っていたのですが、その脇道から侵入しかかっている一台の車に気付きました。その車は一時停車はしたのですが、そこで私の通過を待つことなく、なんと私の進路に入り込んできたのです。距離はもはや至近、まさに最悪のタイミングです。
私はその車の一時停止の時点でいやな感じがし、その時か、あるいは車が動き始めた瞬間からか、ブレーキをかけ始めていました。私の自転車のディスクブレーキ――こういう事態もあろうとグレードアップして搭載――はさすがで、両輪を完全にロック状態にするほど有効性を発揮していましたが、車輪はスキッドしてその車はみるみる接近してきます。思わず大声をあげていましたが、その車のドライバー――裕福そうな中年夫人――は、それでもこちらに気付く様子はありません。もう、完全にだめかと思わされたその一瞬、私の自転車の前輪がその車の後部脇腹の表面にあと10センチか15センチくらいのところで、ぴたっと止ってくれました。
それはまさに奇跡的瞬間でした。通常なら、それだけの速度でロック状態となった場合、スキッドしてバランスが崩れ、ほとんどコントロールが効かなくなります。それが今回、車体が横流れすることもなく、まっすぐの態勢を保ったまま、全面的な制動が効いているのです。これまでには経験したのことのない、完璧なブレーキの働きと危機回避の出来栄えでした。自分でいうのもへんなのですが、それは、一種不思議な感じさえする、自分の能力を超えたともいうべき完璧さでした。
店につくとすぐ、私はタイヤの表面を点検してみました。すると、後輪はある一ヶ所で、刻みが消えて地肌に達するほど、厚さ1ミリ近くが見事に削り取られていました【写真】。
その見るからに痛々しい姿のタイヤに、おもわず感謝の気持ちが沸き上がってきました。
さて、そこでなのですが、これほどの間一髪の経験をした以上、その危機回避の再来はもはや期待すべきではありません。
そこでこの経験を機に、もう、この坂ではスピード記録をねらうようなことは金輪際やめにすることとし、ことにその危険頻出個所では、最悪の事態、つまり、≪自分は気付かれていない≫ことを前提に、それでも安全な乗り方に徹してゆくことに戒心しました。