11月27日〈木〉
ここのところ30度を越える暑い日が続いている。
昨日は33度の最高気温で、さすがに運動はやめにした。
今日は、30度をやや下回り、北よりの乾燥した風のなかを、プールへ。1000メートルが28分9秒で、それこそ〈遅老効果〉は現れているか。
来週火曜に日本へは、羽田経由、愛媛行きで出発。
11月28日〈金〉
幾度も書いてきたが、私の睡眠パターンは二分型である。それを「仕事」と呼ぶ運動を午後に行い、夕食を済ませれば、満腹と運動の身体的疲れで、睡魔がおそう。そこで、早めにいったん眠り、夜中に起きて、冴えた頭で書き物をする。ちょうど、これを書いているように。それを数時間も続ければ、今度は頭の疲れから二度目の睡魔がやってくる。この二分した睡眠パターンのため、私のPolar時計は、睡眠の短かさを改善するように言う。ともあれ、そのように私の睡眠パターンは異型である。
ところで、そうした異形の睡眠パターンのお陰で、私は確かに、通説である連続した睡眠時間からは得られない、夜中の特異な意識の働きを活用することができる。
これはあたかも、自分の夢や無意識の世界への訪問を可能とする、私にとっての、それが創造性と呼べるなら、「創造性への秘密ルート」である。
また、こうして、二度目の睡眠から目覚めた翌朝、まだ眠りの余韻の残っている頭に浮かんでくるさまざまなアイデアは、これはこれで、夜中のそれとはまた異なって創造的である。夜中のそれを純夢想型とすると、朝のそれは、夢想と現実の半々型である。
ともあれ、こうした二つの発想の窓口を、これまでの79年の歳月から見出してきた。
聞くところでは、人の眠りの前半はノンレム睡眠と呼ばれる熟睡部で、残りは眠りの浅い夢を多く見る部分だという。ということならば、私の「二分型睡眠パターン」は、その熟睡部を二度使っているものと言える。
ともあれ、こうした身体型由来熟睡と頭由来熟睡の二つの特徴を駆使した私の眠りのパターンは、少なくとも体験的に、私の発想を引き出す方法として、定着してきている。
睡眠の専門家の説くところでは、連続した睡眠の後半のレム睡眠は、身体の疲労を回復させるに役立っているという。だとするなら、私のこのパターンは、身体疲労の累積をもたらすはずだが、ALが繰り返し指摘しているように、私の運動能力の顕著な持続は、それとは逆の結果となっている。
これは私の体験的見解だが、昼間の身体運動は、脳にとって一種の瞑想状態を作り、それが脳内を整頓させ、あわせて身体疲労からくる眠りをももたらし、それが一度目の熟睡状態後の「創造性」に寄与しているように思う。専門の先生方、どうなのでしょうか?
12月5日〈金〉
3日にこの見知らぬ地、伊予吉田についた。この地は、行政的には宇和島市の一部。松山から、JRの名だけの「特急」で約1時間半。
ミカン農園の経営者に迎えられ、これからの宿となる農協所有の寮に案内される。6畳ほどの個室で、ベッドと簡素な机に椅子、衣服ケース、それに小型冷蔵庫、エアコンがそなえてある。
仕事は、ミカンの加工工場での労働ということで、山でのミカン収穫は、今後、機会があればということ。さっそく、工場に行き、同僚への紹介やら、ユニフォームのサイズ合わせをする。
翌日、さっそく仕事が始まった。収穫されてきた上級のミカンの皮をむき、小袋ひとつひとつにばらして箱に層状にならべ、それを冷凍庫に積み上げる作業。もう五十年以上ぶりの単純作業への従事。
それを一日続けて、もう終業まで30分ぐらいになった時、にわかに冷や汗がでてきて、体の力が抜けて、立っているのもできなくなって、思わすしゃがみ込む。典型的な貧血の症状だ。ともあれ、箱の上に座って休もうとするが、それも苦痛となる。同僚の人たちが床にマットを引いて寝かせてくれる。その際、何分の間か知るよしもないが意識が途絶えていたらしく、救急車がよばれ、病院へ緊急搬送される始末となった。
20分ほどで、宇和島市内の病院に到着。車中では、もう救急隊員からの質問に適格に答えられるようになり、彼らも私の状態をさほどの危ない状態とは受け止めていない様子。最後にはオーストラリアについての雑談も交わすほど。
病院では、以前のクモ膜下出血の件、そして既往症として前立腺癌の観察下にあることを告げ、心電図、糖尿値、脳と身体のスキャンをして、万が一の検査を受ける。
検査を受けながらその内心では、これは、一つの全身的精密診断を受ける機会になっているに等しいじゃないかと、その突如至ったラッキーな成り行きを受け止めていた。
結果はどれも異常なしということであった。
つまり、起こった症状とは、オーストラリアの真夏から日本の真冬への、しかも丁度、寒波が到来したとことろへの移動という極端な寒暖の変化に加え、ミカン冷凍という寒い工場内での不慣れな労働の初日ということで、いくつもの身体的ストレスが重なった血圧と体温低下によるものであったようだ。つまり、そうした一過性の急性症状ということで慢性の欠陥の表れではないもの。
ともあれ、体温の低さもあって、念のため一泊の入院をして休養をとることとし、翌午前に退院、昼間は市内見物もかねて歩き、体力の回復具合を確かめ、夕方、宿舎にもどり、今、こうしてこの記録を書いている。
救急入院という事態となり、周囲には大きな心配をかけてしまう事態となった。
結果的には、一過性の血圧低下に終わったものの、その本人にとっては、自分の身体の適応幅のひとつのリミットに達していたのは確かだった。私の用語でいえば、そういう「自己人体実験」の結果である。
明日も休みなさいということで、土日と二連休となり、私には都合のよい休養となる。
なお、この件の扱いについては、工場側が労災申請をしてくれて、いまのところ私自身への費用負担は発生していない。
かくして、今度の日本体験は、いかにも波乱含みな展開をもって幕を開けている。
12月6日〈土〉
昨夜はぐっすり眠れて、夜中の目覚めをはさみ、計9時間ほども眠ったろうか。おかげで今朝はもろ快調で、あれをしよう、これをしようとの意欲が湧いてくる。気持ちのいいものだ。
昨日、宇和島の街でみつけたベーカリーで買ってきたパンで朝食、そしてこの間にたまった洗濯だ。
ところで思うのだが、この入院騒ぎを含め、なおも予定の敢行を考えているこの自分に、どうも、いわゆる「頑固ジジイ」の習性が出現してきているように思われる。
周囲からみれば、とっくに現れていたのかも知れないが、それがようやく、自覚症状になってきた。まあそれでも、ボケジジイよりはましだろう。
もうすっかり回復の実感で、午前中は、洗濯の後、工場の事務所にでかけ、お世話になった感謝のつもりで、宇和島から買ってきた地元のお菓子の詰め合わせを持参。
午後は、気持ちのよい晴天のもと、付近の漁港かいわいを歩く(写真)。
帰路では、当面の食料や日用品の買い出し。
ともあれ、宇和島のこのあたり、山と言い、海と言い、穏やかな自然がたっぷりで、新鮮な魚もふんだんに食えそう。このまま移住したい気分。
これもひとつの縁となるか。

