12月7日〈日〉
気持ちのいい晴天。休日の今日は自転車で、吉田町周辺の半島を走ってみた。距離にしておよそ18キロの道のりだが、ほどんどが平坦で、一か所、ちょっとした峠越えの上がり下りがあった。

峠から眺める奥浦漁港 .
すっかり腹がへって昼飯に、もどった町の裏道に食堂を見つけて入ってみた。お好み焼きが売り物で、それを一枚平らげて出ようとした時だった。店の一角の二つのテーブルを占めた私と同年齢とおぼしき人たちが、互いにグラスを傾けながらから歓談している。その中から声がかかった。旅の者と説明すると、立ち話もなんだからと椅子をすすめられ、そのグループに迎えられることとなった。
彼らは地元の、75から80歳の、もう前線からは引退して、善き毎日をおくっている老旦那衆。はるばるオーストラリアから来たというと、ますます歓迎してくれ、刺身用にと、地元の魚まで頂戴することとなった。

12月13日〈土〉
このミカン農園応援の仕事を始めて、実質の一週間を終えた。体も、寒さと仕事になれ、容易ではないものの、こなしてゆけるまでにはきた。それにしても、このミカン加工工場での仕事は、それこそ50数年振りの単純肉体労働。なつかしいほどに久々に従事している。そして、時計をにらみながら、終業まであとどれほどといった、ブルーカラー心理を味わっている。
12月14日〈日〉
今日は週に一回の休日。動きの乏しい立ち仕事で、体の全体が凝り固まりがち。そこで、寒風が吹くなか、約4.5キロのはじり。タイムは41分11秒と、キロ9分3秒のペース。思いのほか楽にはじれた。もっともこの遅さだが。町は寒さのせいか、人口減のせいか、人影が少ない。買い物に行くおばあちゃんが挨拶をくれる。
12月16日〈火〉
立ち仕事の連続で、かえって体がなまってきている。対策を考えねばならない。
12月17日〈水〉
私が首を突っ込んでいるこうした人手不足応援事業、言い換えれば、新手の臨時労働力供給は、どうやら、悪く言うと「人の掃き溜め」。そこで働く地元の人たちにとっては、まあ手頃な近場の働き先なのだろうが、それだけでは、ことに繁忙期は手が足らない。そこで広く、「旅しごと」といったアピールをかけて人をかき集めているのだが、そこで各地よりやってくる労働力は、いわば「わけあり」の移動労働者。それも、日本社会の両極からやってくる人たち。そしてその両極とは、社会の現状を、能動つまり拒否したか、受動つまり排除されたかの違い。ともあれ、平均層はおらず、変わり者たちの溜まり場なのだ。むろん、私もその一例。そして、「能動組」の人たち同士は比較的に交流があるのだが、「受動組」の人たちはまるでゾンビ。まず口をきかないし、孤独にこもりきっている。
12月18日〈木〉
慣れに従って、時間のたつのがしだいに早く感じられるようになってきた。
ただ、その時間の流れるままに任せていれば、体はなまる一方で、山行きには耐えられまい。動きの乏しい作業なのだから、自分で運動をする必要をますます感じる。
今日は約4キロのはじり。タイムは34分31秒。
12月20日〈土〉
今日は、28日の日曜が出勤となって、その代休。そこでまた、半島一周を自転車で走ってきた。この提供されている自転車はママチャリで、ギアーもなく、長距離を走るには不向きで、その分、余計な力がいる。坂道は経ち漕ぎをしなければ登れない。おかげでいい運動にはなる。そのせいか、腰痛が和らいだ。

ミカンと柿が枝もたわわに実る沿道風景
12月21日〈日〉
今日は最後の休日。天気はかんばしくないものの、付近で一番高い山、遠見山(332m)に登ろうと寮を出た。国土地理院の地図をダウンロードはしたものの、ミカン収穫用の道が入り組んでいて、登山道らしき道が解らない。三度ほど、番犬にほえられて先に進めなかったり、神社までの道は行きどまりだったりして、Uターンを繰り返す。ようやくに達したのが、標高136mのミカン山の尾根。目的は達せず、今日はここまでと打ち切って昼食、下山した。

到達した尾根から見ると、宇和島湾にクルーズ船らしき姿が望めた。調べてみると、沖泊まりしている「にっぽん丸」で、神戸発着の3泊4日のクルーズ中、別府から神戸に向かう航海途上での寄港。
