QL 1Year+198Day(2020年7月10日〈金〉)

今日の12キロはじりは、快調だった。タイムも1時間38分27秒。ことに帰路は40分5秒でほぼ標準タイム。呼吸に制限のある泳ぎとの相乗効果が出てきたのか、呼吸が楽だ。 詳細記事

QL 1Year+181Day(2020年6月23日〈火〉)

リタイア者、ことに年金生活者にとって、健康維持は、それを仕事と考えるくらいでよいとは、以前にも書いた。つまり、“お荷物”にならないことが、社会的義務――それ以上に家族的義務――の筆頭事項ということ。言い換えれば、そういう――医療費負担をかけない――形の税金の支払い。そして、家族へのお返し。

そこで、運動に出かけようとする際に気乗りがしない時(何だか仕事に出かける際の気分と似ているなと思ったりもするのだが)、「これも仕事と思え」とスイッチを入れる。 詳細記事

QL 1Year+167Day(2020年6月9日〈火〉)

10キロはじり、1時間25分31秒。出だしというか、往路はメタメタ。標準より4分遅れ。帰路は挽回して、1分半の追加。そうなのだが、やはり、完走できること自体が重要。後ろ向きの姿勢にはなりたくないものだ。 詳細記事

QL 1Year+148Day(2020年5月21日〈木〉)

三日前の12キロの疲労が消え、ちょうど雨もあがって、今日は10キロのはじり。このところ、いつものコースは、運動を求める人たちが増え、今日も、何人に追い越されたか。ドンマイ。どれもみな、僕よりはるかに若い。タイムは1時間21分40秒。標準タイムより、わずか100秒、キロ当たり10秒の遅れ。 詳細記事

QL 1Year+138Day(2020年5月10日〈日〉)

膝のトラブルの大事をとって、ここのところ、歩きかサイクリングのみ。きょうは、それもしないで、室内の運動だけ。 詳細記事

QL 1Year+121Day(2020年4月23日〈木〉)

8キロはじりの平凡な記録。コースは家族連れでのメインストリート。小さな子が習いたての自転車に乗って列をなし、まるでアヒルの遠足。時々行き合う電動車椅子の老婦人、今日は明るく返事が返ってきた。 詳細記事

QL 1Year+107Day(2020年4月9日〈木〉)

今日は遅くなったこともあって、短めに切り上げるつもりではじり始めた。気温が20度少々と涼しく、いつもより快調だった。その結果、いつもの半分の4キロで29分38秒と、キロ8分の標準ペースを大きく下回った7分24秒との、びっくりするようなタイム。

さすがに、これだけペースを上げると、呼吸がそうとうに苦しい。久々に、胸の真ん中が痛むような呼吸を味わった。キロ8分を36秒も切るタイムに、「やればできるじゃないか」との気分。 詳細記事

QL 1Year+90Day(2020年3月23日〈月〉)

店主の家族事情と、コロナ禍によるレストラン業自粛要請とが重なって、店が昨日、閉店した。今日はその店終いの手伝いに行ったのだが、そこで興味深い話題が生じた。店で働いてきた日本人ワーホリ女性(23歳)と一緒に片付けをしているシーンが、店主の奥さんにほほえましく映ったらしい。「あなた達って、お爺さんと孫って関係よね」。50歳の年齢差なら、まさしくそういうことなのだ。 詳細記事

QL 1Year+74Day(2020年3月7日〈土〉)

KENFUKA連載の最終回を書いていて改めて気付いたこと。それは、私の《はじり》が、一種の瞑想行為でもあったこと。それがエクササイズであるのは自明のことだったのだが、なにやら薄々気付いてきたことに、その事後の爽快感は、身体現象であるのももちろんだが、それが精神現象でもあったことだ。名付けて「はじり瞑想」あるいは「はじり禅」。言ってみれば、「動」と「静」の両極にわたる瞑想。 詳細記事

QL 1Year+64Day(2020年2月26日〈水〉)

別掲載の『15年先の「人生シミュレーション」』の記事にあるように、7年前、亡き友人が見せてくれていた「15年先の自分のありうる姿」に、すでにその半分ほども、接近している。彼がそこで身をもって示してくれていたことは、たとえひとつでも自分の健康上の「弱点」があれば、そのたった一つの「弱点」が命取りになる、ということだった。たとえその他のどこも、すこぶる健康であったとしても。 詳細記事