「穴埋め働き」という意義

修行風景(「中堅編」改め)=穴埋め働き編=その1

二週間の日本滞在から店の仕事に復帰すると、待ってましたとばかりの忙しさでした。

と言うのも、私の留守中に、キッチンの熱もの部門を担当していたアンディが辞めていたからでした。キッチン一同、私の復帰をいかにも待っていたかの雰囲気があって、“老兵”ながら、その期待には悪くない気分にさせてもらいました。

ただ、いきなり忙しい労働に飛び込むのは、気が重いことどころか、なまった体にはなかなかこたえる負担です。

しかしその一方、こういう人手を欠く時こそ、自分の腕を磨き、技量を広げるチャンス――そしてそれが望まれる時――でもあります。

確かに、まもなく七十になろうとする、いまさらの腕磨きには、おっくうな気がないといえば嘘です。そうですが、寿司や刺身といった冷ものは、これからの冬のシーズンには比較的ひまとなり、じっくりと取り組むにはいい機会です。

無理をしては元も子もなくしてしまいますが、日常に緊張感を取り入れるのは、この年齢だからこその必要事でもあります。

これを「修行」と言うには生温いものですが、こうしたいわば「穴埋め働き」は、「高齢者の就業機会」という面では、逃すべきではない現実的かつ有効な場でもあると思います。

そのあたりの微妙な融合をこころざして、到来したこの機会を活用したいものです。

 

ところで、この連載のこれまでの「中堅編」というサブタイトルに、時の経過とともに、次第々々な場違いな感触を強めてきました。

そこで今回、以上のような発見を機会に、このサブタイトルを、「修行風景=穴埋め働き編=」に改めることにしました。

先にも述べた「黒子役」もこの「穴埋め働き」の別面ですが、いずれにしても、“捨てたもんではない”はずと、内心ひそかに自負しています。

 

 

 

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