2024年1月22日〈月〉
運動の効用として、いわゆるストレス解消効果がある。私が昔、論文作成に没頭していたころ、毎日のエクササイズのもたらす「よくやった効果」のことだ。
それと似てはいるのだが、もっと直接的な脳への効果として、私が「リセット効果」と呼ぶものがある。
これは、同じ運動でも、けっこう強度のあるものを行った後、一種の頭の中を空っぽにしてくれる効果である。
おそらく、そのけっこう激しい運動によって、身体のインフラは、肉体も精神もその実行に集中され、脳内の神経細胞のシナプスも、おおきくその目的にそって方向付けられるように再編集されるからではないか。
つまり、日々の雑多な必要遂行のため、複雑に結合されていたシナプスが、いったん解きほぐされるといった「リセット」が行われる。
そしてその結果は、一種の脳内の白紙状態がおこり、自由な発想ができやすい環境を提供する。
これはある面、良質な睡眠から目覚めた後、新鮮なアイデアが湧いてきやすい体験にも似ている。
おそらく、脳内に生じている現象としては、運動も睡眠も、同様なところがあるのではないだろうか。
2024年1月23日〈火〉
最近、「承認欲求」という言葉をよく聞く。精神医学関係の専門用語のひとつだが、現代人の傾向を分析する用語として、登場頻度を上げてきている。
その「承認欲求」だが、なんとも怪しい用語と、私は警戒している。というのは、この語は、一種のゆがみの追認用語の働きをしている恐れがあるからだ。
たとえば、かつての消費社会をけん引した「購買欲」たるものも、一種の作られた動向であると思われ、それと同類のものとの受け止めである。そしてその消費社会の顛末が今日のゴミ社会であり、その反動による、購買欲なぞが反転した、今度は「ミニマリズム」といった「抑制衝動」であるかの動向だ。
こうした用語の背景には、そうした特性が誰にもあるものであるかのように前提とされているところに弊害の始まりがある。
もっと視野を広めて言えば、プロパガンダと言われるいわゆる宣伝のもつ効果を使った、心理操作の一種でもある。
しからば、この「承認欲求」といった用語がもたらすだろう弊害とは、体のいい“認められたい”「迎合人間」の大量生産にもつながる。
要は、人はそんな他者依存に頼らずとも、個々の違いを生かした多様性の中でもっと生き生きとしていられるし、他者との関係の重要さは、むしろ、人間愛の世界のはずだ。
2024年1月27日〈土〉
昨日は、38度の猛暑ゆえ、エクササイズは避けた。
一転して今日は26度、しかも、曇天ではじり日和。そこで10キロまで距離を延ばす。
昨日の休養が効いたのか、タイムは、1時間21分12秒。キロ当たりでは、8分7秒。8キロに換算すれば1時間4分57秒。往路が42分5秒だったので、帰路は39分7秒。ということは、キロ8分を切ってるってこと。
2024年1月30日〈火〉
運動の後のクールダウンをしている時だった。いつものそんな時間帯に、ほぼ毎日だろう、ゆっくりとした足取りで歩きを続けている男の年配者がいる。私より数歳上とお見うけする。その人が、今日は、右手にステッキを持っていることに気付いた。たしか、これまで、両手は手ぶらだったはず。「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足」というスフインクスの謎かけをふと思い出した。
2024年2月3日〈土〉
昨年6月のベトナム旅行の際、サイゴンの市場で買ったナイキの靴を、今日、ふと思い立って履いてみた。正規価格の半額もしないお買い得品で怪しい製品だったが、まあ、おみやげとして購入したもの。履き心地はやはり、クッションが悪く、ごつごつとした感触で、まるでただのゴム底の靴を履いているようだった。そして結局、自分の足でクッションを作らねばならないはめとなった。ところがだった。その自分で作らねばならぬクッションのため、自分のリズムが自ずから出来てきてくるのは驚きだった。30度に近い暑さのため、8キロは無理かと予想していたが完走ができ、タイムは1時間7分56秒とお粗末だったが、思わぬ発見となった。
2024年2月6日〈火〉
雨上がりの、風は強いがやや涼しい日、はじり10キロ。
途中、三十前後の若者に追い越される。なんで同じようなペースなのに、あんなに早いのか、などと考えていたら、まだ60代と思われる人が、電動カートで移動してきた。彼にしてみれば、僕みたいな年寄りが、よく走れるもんだと思ってるのかも。