運動という対話

2024年2月8日〈木〉

今日も、10キロをはじった。はじりながら考えたのだが、この運動とは、まさに、身体との対話ということだ。呼吸が苦しいとか、いつもの右足の痛みが今日は軽いとか、左のふくらはぎの筋肉が痛みだしたとか、運動中のそうしたやりとりはいわば休みなしだ。まったく、なんのやりとみもなく運動していしていられることなんてない。

そういうやりとりを繰り返しなが、その背後で、今日は調子がいいとか、もっとペースを上げてみようとかと、もう一人の私が号令をかける。

つまり、運動中は、この号令する自分に焦点が当たりがちなのだが、それ以前で、上記のような、生理的な情報交換が無数にされている。これは、運動しないでいる時には起こりえないことだ。家でデスクに向かっている時、体は何も言ってこない。せいぜい、長時間の後、肩がこるとか、尻が痛いとか、それくらい。言い換えれば、運動することとは、体と盛んにおしゃべりしていること。運動の結果のタイムや距離は、それが目的とされるのが普通だが、それは最後に出た単なる副産物ということだ。

ところで、数日前、クーリングダウンの際、いつもの年配者が、ステッキを使い出したと書いたが、今日、その人は、再び、ステッキなしで歩いていた。

 

2024年2月10日〈土〉

最近、面白い発見をした。それはスネ筋肉の凝りのもみほぐしの効果なのだが、以前、それで足の先の痛みの軽減がみられるとは書いた。それが、それ以外にもあって、バランスが改善するのだ。

それは、相撲取りの仕切りの際のように、しゃがんでつま先だけで静止する時、この何年も、バランスがとれず、何かにつかまらないとふらついてしまうようになっていた。時には、後ろにこけて、尻もちをついてしまうこともあった。

そのしゃがんだ時のバランスが、すね筋をほぐすことで、みごとに復活することだ。

すね筋をほぐしてみるとわかるのだが、よくもみほぐしていると、足先がぽわーっとあったかくなってくる感じを味わう。血流が改善しているのだ。そして、しゃがんでいる時に必要なつま先の筋肉や筋の働きが、それによって、再び、機能し初めているのだろう。

自分の体との対話の成果である。

 

2024年2月13日〈火〉

夕立ちの黒い雲が全天を覆い始めている中、その分、ひやっとした風も吹き、暑さもしのげるチャンスと、はじりに出る。やがて雨もぽつぽつ降り始め、いつもの半分の4キロに切り詰める。短いゆえピッチを上げると、タイムは31分10秒と、キロ8分台を切るペースだった。

 

2024年2月14日〈水〉

はじり瞑想のごとくに、集中。8キロ、往路33分45秒、帰路32分14秒で、計1時間5分59秒と、かろうじて6分の壁破り。

今日は、例の年配者、ステッキ付きにもどり、弱々しい足取り。

 

2024年2月17日〈土〉

暑さのため、歩きにきりかえ。

公園でストレッチをしていると、例の年配者の姿があった。今日もステッキ付き。さらに弱々しい。

 

 

 

 

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