「究極のゴール」、私の場合

《「人生二周目」独想記》第3号

「新年おめでとうございます」――とは述べても、めでたさなぞ吹っ飛ばされる新年となっています。

そんな歳月の起伏にあって、このところ私は、自分をいわゆる「老人」として意識したり自称することが、しだいに多くなっている自分を感じています。

以前は、年齢が七十代も後半になってきているのに、どこかそう自認することに抵抗感をもっていました。あるいはむしろ、人並み以上の健康水準の維持がゆえ、そういう抵抗も当然とするところがありました。

そこに、この独想記のように、十年前のガン宣告に加えての昨年のその進行状況は、そうしたフル健康状態に手痛い傷を付けてくれ、そしてもちろん、そうした自意識に強いブローをもたらしてくれました。

ただ、そうなのではありますが、それらの宣告も検査結果を根拠としたもので、自覚症状は伴っていません。そこで、早期発見は早期発見としつつも、そうしたガンへの対処については、ともあれ「全摘」は辞退し、その「ドラ息子」との共存をより尊重してきているところです。

そのように、私にとってガン問題は、あえて申せば、降ってわいた「災難」にも等しいもので、対処は必要としても、少なくとも主観的には、必ずしも自分の「老い」をさらす、決定的事態を意味するものとは考えられないできています。

ここに、その「災難」と、築いてきた「自視野」とが交錯する、大きな高度差を眼前にし、方向を見誤るべきでない「究極のゴール」とは何かと問う、あらたな登山意識――「山頂なき登山」――が私の脳裏を占めつつあります。

そしてそこに、その用具とも、あるいは、そのコンパスともなるかのように、その意識の創発の場を提供してくれているのがこの独想記で、本稿のように、それに託す働きがなんとか役立ち始めてくれています。

ネパール、アンナプルナの峰々〔注記〕

詳細記事

12月の一日平均訪問者数(グラフ中の赤線)は 1,246人と、11月の1,262人から16人減少し、10月からの11人に続く微減となりました。また、各部門のほとんどで、11月の顕著な伸びを相殺するような大きな減少となっています。

 

詳細記事