QL 2Year+168Day(2021年6月10日〈木〉)
こうして、アップサイクリングに取り組んでいて、興味深い体験をしている。それは、たとえば、ソファーの新布地をミシンかけをしていた際、必要に応じて試行錯誤したり、リバースエンジニアリング――既存完成品を分解して、組み込まれた技術を学び取る手法――したりして独力でこなしていた。そうした作業をしていて気づいたのだが、どこかで見た古い記憶がよみがえってくるのだ。それは、亡き母親が同じような作業をしていたそれを見ていた子供時代の記憶で、母親がしていたこととほぼ同じことを自分がいま、行っているのだ。それは当たり前と言えば当たり前のことなのだが、裁縫作業に必要なスキルという意味で、昔も今も、同じことが必要なのだ。
また、冬になって、ここシドニーでも、水分たっぷりの白菜が手に入り、白菜漬けを楽しんでいる。その白菜の漬け方にしても、子供時代に見ていた母親のやり方を、踏襲しているだけのことだ。
そこで思うのだが、そういう生活の必要ごとの記憶とか、見様見真似で学んだこととかの場面に、父親は一切、登場してこないのだ。
それもそのはずで、父親は、朝、出勤して家からはいなくなり、夜帰ってきて就寝までをすごす、そういう存在だったわけで、子供にすれば、その見様見真似もしようがない。
むろん、週末の休日に、家族で行楽に出かけた記憶はあるが、それは生活の知恵という次元とは違った、属する制度上のものだ。
こうして、年金生活に入り、自他とものアップサイクリング作業から気付かされることは、自分の現役時代が、その父親の生活の再現で、いわば、父親はお金を稼ぐ人、母親は日常生活を賄う人という、近代の家族関係の役割分担、つまり、資本主義生産様式の家族形態にのっとっていたがゆえの産物であったということだ。
それがもし、父親が職人とか商人とかで、毎日、その仕事ぶりを子供の目にさらしていたとするなら、私の古い記憶の場面も、私の生きる知恵の学び方も、根こそぎに異なったものであったろう。
やや話は飛躍するが、つまり、お金という抽象的な生活手段を得るために、私と父親の関係も、少なくとも平日の間は、抽象的なものであったわけだ。父親が、勤め先で、どのような苦労をしてそのお金を稼いでいたのか、子供には知りようがない。そして、ひたすら学校に通い、いい成績、いい学校、いい就職といった超抽象的な価値観の各章、各節、イロハを学ばされていたわけだ。
やがて自分も学業を終えて社会に出たとき、とたんに体験したのは、その抽象的な労働の味気無さで、そこで見出さざるを得なかったのは、食うための努力と、本来の人生のための努力との分裂あるいは二重の生活だった。
したがって、私の人生体験を振り出しまでもどして、もし父と母が、ともに子供の目の前で、生きる体験を見せてくる生活方式をしていたとしたら、両親がそうして築いていた関係から学ぶものも無数にあったに違いない。それこそ、抽象的な男女の役割分担なぞではなく、具体的な一組の男女が織りなす生き方の仕方や知恵である。
そういう意味では、両親から学ぶべきものが、半分でしかなく、両親にしても、自分たちの体験を教えるものが、これも半分でしかなかったこととなる。残りの半分は、いったいどこに持って行かれたのか。
むろん、そういう家族形態は多種多様でばらつきが多く、また専門家でもない教師による教育である。そこで、そんな能率の悪い学び方に代わって、学校制度がフルに稼働していたわけだ。
近代の物的生産過程を支えたこうしたシステムが、今日の情報化によってその多くが変容し、かなりの部分で、自動化された物的生産が実態となってきた今日、私たちの家族形態も、もっともっと、多様化してゆくに違いない。
すでに、男女平等な労働形態への要望とそうした変化により、家庭労働の分担も、男女共同負担への変容が起こっている。父親が「主夫」の家庭に育てられた子供も、成人となってきているはずだ。
ところで、わが家具アップサイクリングも、いよいよ原形が復活しはじめ、写真のように、新たな装丁をもって姿をあらわしはじめた。
QL 2Year+169Day(2021年6月11日〈金〉)
ついに完成。実作業に入ったのは今月になってからなので、所要期間は10日ほど。合間作業だったので、正味日数はその半分ほどか。ただ、けっこう手間取ったのは確かで、やり直しなどは頻繁。ことに奇抜をねらってソーファ片側アーム部を赤布地で作ってみたが、これが行き過ぎの感じがあって取りやめ、作り直した。おかげで、紺の布地は文字通りぎりぎりになってほんの切れ端しか残らず、危ないところとなった。
これで、粗大ごみを一つ減らすことができただけでなく、新たな味わいの家具に生まれ代わった。25年ぶりの蘇生。
終わってみての感想だが、モノを買うこと、つまりお金で済まさないで、自分の力で解決することの充実感とやればできる喜び。これは、商品消費行動で失っていた満足感だ。この商品消費とゴミ捨て行動の蔓延のおかげで、いまや地球は「ゴミの惑星」と化している。
QL 2Year+170Day(2021年6月12日〈土〉)
昨日終了した家具アップサイクリングだが、この作業を「ボケ防止」との角度から見ると、それは実に効果的であったと思う。
ことに縫製作業だが、立体的な曲線部を、縁取りパイピングをほどこして縫い付けることは、縫い目が表に出ぬようにすべて裏返しで行われる作業で、空間関係が反転している。しかも、縫い付ける布地は合計4枚、それを出来上がりの三次元形態をイメージしつつ縫う。それに、縫うこと自体、ことにミシンかけは平面作業なので、布地をしわ寄せしたり、あれこれ動かしながら立体をたどって縫ってゆく。あまりに複雑な部分は手縫いにした箇所もあるが、大半はミシン作業。ところがこのミシンたる機械は、なにせ機械なので、供給される布地を所かまわずガンガン縫い上げて行ってしまう。気が付けば、頭と尻尾が縫い合わされていたような、笑えない結末ともなる。要は、そうならぬよう、機械のスピードについてゆくそうとうの集中力が求められる作業ということで、それは考えこんだ文章を書くそれにも匹敵する。それが継続できるのは、2、3時間がいいところだ。(その結果、いわゆる縫製業というものを見直す結果となった。バングラの少女たちを見下げてはいけない。)
加えて、このアップサイクリングはソファーのそれで、縫いあがった生地を、次には木製の枠に取り付けて行く作業が必要。これはまた打って変わって実にフィジカルな作業だ。様々な姿勢での巧みな手作業が求められる。それに、出来上がった本体に金属製の重いベッド部分を設置する作業は、これは力作業と、狭い部分にネジで止付ける作業とのコンビネーション。
こうした一連の身体作業は、年くった体には実にヘビーで、ある程度、普段からの運動能力の保持がなくてはとても耐えられない。
かくして、頭脳作業と、身体作業の合体したこの総アップサイクリング作業を通して、これは、そもそもそれへの挑戦の発起を含め、その人自身へのアップサイクリングになることは間違いない。それを「ボケ防止」と呼んでしまっては、あまりに矮小化した認識だと思う。
それにそもそも、使い古したものに、それなりの愛着を持ち、それをベースにその本来の働きの再生に取り組むことは、そうとう長い年月がつちかう対象物との関係が前提となる。これは、高齢者ならではの作業とも言える。
QL 2Year+172Day(2021年6月14日〈月〉)
「カーボンゼロ」が世界の生産上の必須条件になってきた。
そういう「カーボンゼロ」といった観点を、人生スタイルに適用すれば、「カーボンゼロ人間」といった概念も提唱されるだろう。
たとえば、その人は、一年生きて、どれほどの量のカーボンを出したのかとの概念。
そういう意味では、ガンや認知症は、「カーボン多産人間」のかかる病気ではないのか。
菜食、車嫌い、自転車好き、アップサイクリング、非消費志向、自然密着レジャー愛好、健康目的スポーツ等は、「カーボンゼロ人間」の生き方の具体的メニューと言っていい。
逆に言えば、「カーボンゼロ人間」が健康人間であることと言っていい。
ただ、「カーボンゼロ」は政策用語だし、地球温暖化とCO2との関連性には異論もある。
それを人間サイズの用語にすれば「環境に優しい人間」あるいは「環境に優しい生き方」となろうか。
ならば、それとQLとの関係は?
QL 2Year+174Day(2021年6月16日〈水〉)
いつものランニングコースのどこかで、必ずといって見かける松葉杖の女性がいる。最初に気付いたのは、もう二カ月ほども前のことだろうか。よほどの重症なのか、右足に長靴ほどもある頑丈なギブスをつけていて、幾度も目撃することとなるその頻繁さから、リハビリ訓練をしているのは明らかと思われた。
最初は、会釈をする程度だったのだが、最近は、軽く声を掛けるようになっていた。
その女性が、数日前、いつもの両脇の松葉杖姿ではなく、一本だけを横にして手に持って杖に頼らず、わずかにびっこを引きながら歩いているのを見た。いよいよ、そこまで回復してきたのだなと受け止めてられた。
それが今日、ついに、松葉杖を持たず、自分の足だけで、ゆっくりだがしっかりと歩いている彼女の姿を見た。追い越しざまに、「おめでとう、杖なしですね」と声をかけると、「はい、杖なしです」と笑顔が返ってきた。
そのうち、ジョギングを始めた彼女を見かけるかもしれない。
QL 2Year+175Day(2021年6月17日〈木〉)
健康は、間違いなく、人生のインフラである。しかし、そのインフラがいつまで持続するのか、その確実性はあまりにもろい。「事故に会う」、「ガンを宣告される」、いつ起こっても不思議でない。
ならば、その安心はどうやって確保するのか。要するに現実策は、マネーである。何らかの保険を掛けることである。
選択は、この「かけ」か「保険」かのどちらかしかないのか。
そこに浮かび上がってくるのが、そのいずれをも包含する、「つながり」であり、畢竟は「愛」なのだろう。
広くは、家族やコミュニティーや社会のもつ人の厚み。
QL 2Year+176Day(2021年6月18日〈金〉)
実は、一連のアップサイクリングに取り組んできたのは、私が住む借家――今のトレンド言葉でいえば「シェアーハウス」――で、同居の父子ファミリーの息子が成長してきて、そろそろ個室が必要になってきたとの相談を受けたことが発端である。
6年前にこの借家に引っ越した折、家賃の高さから、このシェアー生活を選んでいた。私たちの移動志向の生活スタイルから、住居の所有そのものが、必ずしも優先事項ではなかったことも、また別の理由でもあった。
その開始の際、将来、同居ファミリーの子供が成長した時には、子供部屋が必要になるだろうから、その時、私が使おうとしていたやや狭い個室と、彼らが使おうとしていたリビングルームとを交換しようとの話をしていた。
その子がもう10歳となり、いよいよその時が来つつあるとの判断が、この要望の承諾となった。
ただその要望自体には、急な話でもないようなので、今年いっぱいぐらいには部屋を移ると回答しておいた。だが考えてみると、目下のコロナ・パンデミックのため、国外旅行そのものが不可能となるという、当時想定していなかった事態となっており、また、私がシェフ職から身を引き、他方、パートナーたる相棒は年金受給開始までまだ3年を残し、それまで収入源確保の必要があるという事情もあって、その引っ越し作業にさっそく取り掛かることとなった。また、こうした新たに生じている事態の中で、中期的な見通しとして、私たちの居住環境を整え直し、また、私が「主夫」業にまわって家ですごす時間がフルになっているとの変化も生じていた。
こうして始まった部屋の引っ越し準備だったが、この先の当面の定住生活整備の観点から、ほぼ使わずとなっていた古びたソファーのアップサイクリングの考えも浮かんだ。そしていまやそれも完成して、部屋を移る準備が、今年いっぱいどころか、ほぼ一カ月ほどで一気に済んでしまい、まもなく完了する。
QL 2Year+177Day(2021年6月19日〈土〉)
昨日に続いて、もうひとつの「実は」がある。それは、この一連のアップサイクリングの数週間、数々の売り出し不動産のサイトや実物見分に当たってきて、試みとして、新住居の購入の可能性を探ってきたことがある。
それは、最近のオーストラリアの住宅価格の目立った上昇と、インフレ状況の到来予想があって、どのみち、定住環境を整えるなら、今ここでの住居の購入も、選択肢に入ってきているのではないか、との判断もあったからだった。
むろん、私はこれまでの私と相棒の二人の借家生活の月々の居住費用部分は負担してきたものの、私個人には、高騰しつつある住宅を購入するまでの金銭的蓄えはまったくなかった。そうなのだが、相棒が持っている一程の資産が、こうした経済状況下でみすみす無駄になるなら、それはさせたくはなかった。
そこで、そうした我々の持つ既存の条件を互いに有効活用した場合、どんなものが入手可能なのかを確かめようとしてきた結果、いくつかの中古アパート物件が可能圏内に見つかってきた。
こうして、そうした物件の下見をしたりして、その選択を実施に移した場合の生活を想像体験することとなった。
しかし、それがなぜなのか明瞭ではないのだが、想像されるそんな生活が、なにやら今後の自分事としては受け止められないのだった。なんと言うのだろう、そうした不動産物件の購入の結果に起こるはずの生活――個々の物件は、それぞれに、家族構成とか収入水準とかが想定されていて、現にそうした条件内の似通った人々が暮らしていた――が自分のこれからの将来であるとは、どこか、実感できなかった。
そうして結果的に用意していたものは、必要条件側から導かれた一連のアップサイクリングを片方に、また、この先のいつかは可能になるだろうノマドな生活という願望側からの方向を他方に据えて、そのいずれが現実になろうと対応できる、少なくとも中期的な準備が、以上のような整備行動の実質的意味だった。
かくして、それを戦争状況に例えれば、現段階では来るべき闘いの敵も規模も不明瞭としても、それに必要かつ十分な備えを整え終えたと判断できるのが、こうして完成しようとしている一連のアップサイクリング後の状況だった。ところが、上記の探し出された不動産物件を購入した際の生活を想像してそれに実感がわかなかったのは、それはいわば、過剰武装した守りの備えであったからなのだろう(子や孫がいるならそうした資産用意も意味あるが、そうでないなら、遺産は無用)と思われる。そこに確かに「安住」は十分すぎるほどに期待できるだろう。だが、その「確かな安住」とは、たとえば自分が息を引き取る場の「安住」まで決めてしまったのごとく、そこまで確かに見通せるという準備に等しかった。
言うなれば、まだ使い尽くせず多くの武器弾薬を残したまま無為に死んでゆく、そうした行く末が確実なその備えだった。
さらに言い換えれば、何もせず無為でいても、その「安住」は確保されている。そういう物的保険が、その実感のわかぬ違和感の出どころだった。
ゆえに、こういうコロナ禍ゆえの不自由状況にあって、それでも追求可能な《移動》やその準備が、こうした一連のアップサイクリングであったと言えそうだ。
QL 2Year+178Day(2021年6月20日〈日〉)
いよいよ今日、過去数週間にわたった一連のアップサイクリングの発端である、部屋の引っ越しが終了し、この先の中期的な居住環境の整備が完了した。
移った部屋は、本来はこの家のリビングルームとして使われていたものだが、そのリビングルームという一家族の団らんの場は、シェアーハウスとなったこの家の新たな使われ方のため、その役割は事実上、果たせなくなっていた。
今回の一連のアップサイクリングで仕上げられたことは、そのリビングルームの一部を区切って廊下風(写真1)にし、区切られた内側をほぼひとつの部屋(写真2)に模様替えをしたことである。
QL 2Year+179Day(2021年6月21日〈月〉)
こうして中期的居住環境の整備が完了したわけだが、この完了を改めて考えてみると、面白い意味ができていたことに気付かされた。
このシェアーハウスは、かくしてバスルーム、キッチン、ダイニングを別にして、4室を持つこととなった。それを、2つの家族が2室づつ使用するのだが、私たちの2室は、寝室とこの新ルームで、しかも、この新ルームの蘇生したソファーはベッドとしても使えるものだ。つまり、長期は無理としても、一時的にはベッドも備えた居住可能なワンルームであることである。
たとえば、将来、長期にわたる海外旅行に出る場合、この2室をその間、空室のまま家賃だけを払い続けるのは、いかにももったいない。そこで、あらかじめ寝室内の荷物や所持品をすべてこのワンルームに移しておけば、空になった寝室――クイーンサイズのベッド、備え付けのワードローブと机を備えている――は賃貸できることだ。
さて、海外旅行の解禁はいつのことか。