第77日(2023年4月8日〈土〉)
第80日(2023年4月11日〈火〉)
それが、昨日、今日と、まとまった運動をした日には、このちょろ尿がなくなり、出がよくなる。むろん、肥大のために昔よりはかなり細いのだが、出るのと終わりとの区切りがはっきりする。尿意で目が覚まされるのも、2時間は大丈夫。時にはもっと長くも眠れる。
それにこの数年、このほぼ2時間単位の睡眠を意図的に利用している。というのは、自分の発想力再生にちょうどいい長さで、頭が疲れて眠気がしてきたら、もう時間にかまわずベッドに入る。そして2時間ほどの眠りのあとは、頭がすっきりと回復していて、物書き作業を再開する。
そこでだが、こうしたサイクルが維持できることを正常と言うなら、そう運動が織り込まれた毎日を正常と言うことである。つまり、運動があって、気持ちのいい疲労があって、はっきりとした空腹があって、食事がおいしく、腹がいっぱいになると、どうにも眠くなって、つまらぬテレビなど見ずに2時間ほど眠る。時はもう、深夜に近いが、そこで起き出して冴えた頭で、思索作業に入る。それも3時間もすれば疲れて作業にならなくなる。
このごろの私の仕事のサイクルは、こうした眠りと作業のセットを、日に三度ほど繰り返す。残りの時間は、生活のための必要作業と、それこそ運動だ。
かくして、かろうじてだが、前立腺肥大による悪循環からのがれることができている。運動様様。
リタイア期という黄金の時期を生かすも殺すも、運動の有無にかかっているという、当たり前のような秘訣の話。
【もどき医観察】ひとつの直観なのだが、自分にある、前立腺肥大、脱肛、そして運動時の尻穴絞り、この三者は別々に考えてきたが、どうやら一つのことの三面のようだ。少なくとも関連している。つまり、下半身の諸筋肉の衰えが、肥大、痔、運動能力低下をもたらしており、それを逆転させ、その筋力の回復と運動を結びつければ、肥大も収まり、痔も出なくなるという、好循環が起こるということだ。それに、以前に書いたが、泳いでいて足がつりそうになった時、尻穴絞りをすると、不思議にそれが収まることだ。
第81日(2023年4月12日〈水〉)
シドニーの夏時間も終わって、合わせたように急に涼しくなった。運動日よりの季節となった。
第83日(2023年4月14日〈金〉)
つまり、そう量子化しているなら、「もつれ合い」も「トランスポーテーション」も可能であるだろうから、それを実験で示すことも可能なはず。
そして、その実験として、自分を実験台にして、何かをやってみせる。
たとえば、ピアノレッスン。あるいは、他の何か、いわゆる芸術表現スキルの達成。
また、それをスポーツ分野でやってみたものが、自分のいまの運動能力もその一つなのかも知れない。
第85日(2023年4月16日〈日〉)
それが、日常化した運動の成果として思いはじめていたのが、健康が、所与のものというより、取り組み次第で、減りもするが、増えもするものと判ってきて、運動とその産物の健康をあえて「仕事」とも意識し、現役時代の緊張感の維持をあえて演出してきていた。ただそれでも、その意識にはまだ、健康はいつかは尽きる有限資源という守り姿勢は変わっていないものだった。
それが今日、運動前のストレッチで、芝に仰向けなって青空と流れる雲を見やっていた時、ふと頭をかすめるメッセージがあった。それは、「健康は、作り出して行く生産物」というものだった。つまり、所与の限られたものを守ってゆくというものではなく、おそらく取り組み次第で、いくらでも作り出してゆけるもの、というものだった。
というのは、足のトラブルもあって、「運動もいいが限度も必要」といった、健康コラムでよく見かける医師のアドバイス――結局は“マッチポンプ”な話――が頭にあって、委縮させられていた自分があったからだった。
それがその空と雲からのメッセージは、「そうじゃないよ、いくらでも作り出せるものなんだよ」と、医師のご託宣ではなく、自身の行為への信頼の大事さを告げていたのだった。
第87日(2023年4月18日〈火〉)
第88日(2023年4月19日〈水〉)
第90日(2023年4月21日〈金〉)